2013年11月9日土曜日

時間を浪費してはならない

私はこのBlogを日記にするつもりはない。
そして、主張の場とするつもりもない。
誰かに伝えるつもりもない。

なぜならタイトルが"自分自身へ(Ta eis heauton)"だからだ。

君は一日の終わりに一日を省みる。
自分に伝えたいことは何かを考える。
それを内容とするべきだ。
もちろん、そこには日記めいた内容も含むだろうし、主張も含まれるかもしれない、
誰かに対して伝える内容があるかもしれない、
しかしそれらはあくまで付随的なものでありこのBlogの目的ではない。
私の求めるものは自分自身へ伝えたいことだ。

君の日記など誰も見たくない。
君の日記は自分の日記帳の中だけにとどめておくとよい。
同時に君の主張もまだ求められていない。
今は君の主張、思考も自分の思索帳の中だけにとどめておくとよい。

Blogを毎日書き始めて数日になるが
書こうとする内容が、日記か、自身の意見の主張となっている場合が多々ある。
この内容でいいのだろうかと悩み、考えた挙句、消して別の内容にしている。
一度明記しておかないとまたわき道にそれてしまうから記載しておく。

一日を振り返って思うことは時間の使い方に関してである。
時間とはこの世で最も平等に与えられ、そして戻らないものだ。
一日は24時間あり、それは1440分あり、86400秒ある。
そして、私は時間の使い方が下手である。
Togglというツールを使用し、自分の時間を記録しているが
この時間は必要だったのだろうかと思うことも多々ある。

たとえば、今日は休日だが、私服で出勤扱いの定例会に参加していた。
そして、帰宅してから眠気に襲われ
ちゃんと寝ればいいものをベットの上でだらだらとネットをしながら
明かりもつけたままで3H25Mを過ごした。

時間は戻らない。
だからこそうまく使うべきだ。
もちろん時間をゆっくり使うべき時もある。
すべての時間を切り詰めようとは思っていない。
人の相談を聞いたり話を聞いたりする時間はゆっくりとりたい。
"時間が物事を煮詰める"と思っているから。

だが、自分のための時間ならば、
それも自分が行動している時間ならばきちんと使うべきだ。
湯水のように使ってはいけない。

今日の余剰時間3H25M
この時間を使って、もっと本を読むことに使えなかっただろうか?
否、疲れていたなら疲れていたでよい。
ならばちゃんと時間を決めて休むべきだ。
休む時は休み動くときは動く。
ごろごろだらだらはいけない。

自省録第五章第一節の一部を書く。
"明け方に起きにくい時には、次の思いを念頭に用意しておくがよい。
「人間の務めを果たすため私は起きるのだ。」
自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目に行くのを、まだぶつぶついっているのか。
それとも自分という人間は夜具の中にもぐりこんで身を温めているために創られたのか。
「だってこの方が心地よいもの。」
では君は心地よい思いをするために生まれたのか。
いったい全体君は物事を受け身に経験するために生まれたのか、それとも行動するために生まれたのか。(以下省略)"

君はこれを忘れてはならない。

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