2014年3月31日月曜日

自省録より

あらゆることにおいて理性に従う者は、悠然と構えていながら同時に活動的でおり、快活でありながら
同時に落ち着いているものである。

ゆっくり急げ

2014年3月29日土曜日

そうだな

笑顔で過ごすこと。
周りからの影響で動くのではなく
周りがどう動こうが自身のペースで
動くこと。

にっこりといくことだ。

久しぶりにリンカンを読みたくなった。
優しい気持ちになれる。

2014年3月27日木曜日

落ち着くのだ

昔から可愛がっていた子が
高校生になるのだが
大人びたことを言うようになっていた。
正直、何を生意気なことをと思ったが…これが成長ということか…
私も成長せねばならない。
大人になろう。

2014年3月25日火曜日

妹の結婚式を終えて

国外に行っていたため更新ができていなかった。
妹の旦那や親戚縁者を含めて
コミュニケーション能力が高いのには良い刺激を受けた。
私もそうありたいし、何より言葉の大切さもそうだが伝えようとする意思が大切なのだと感じた。

彼らを見習わねばならない。

2014年3月19日水曜日

理由わかったかも

人がいいのか、バカなのか。
余計なことをするからだ。
君の働きは無給で出来ることか?
無給で提供出来るようなことか?
もしそうならば君の働きなど
その程度のもの。
君は自分の働きと、質を無料で提供出来るようなものだと思っているのか?
もしそうなら君はプロなどではない。

最近の自分

仕事が残り気味だ。
忙しかったかと聞かれたら、恐らくは忙しかった。
恐らくはと思う位だからそこまででもないはずなのだが、何かはしていた。
では、何をしていたたと聞かれたら…
わからない自分がいる。
結果として何を成したかと思うと首をひねる自分がいる。
正直戸惑っている。

これを打開するには現状を正しく把握するしかない。
そして、当たり前のことだが優先順位を決めること。
今からやるべきか否か。
どの位、何時までかかるか。
人の割り込みも同様。
刺激と反応にスペースを。
人はこっちの都合まで考えてはいない。
自分で守らねばならない。

締め直さねばまずい。
正直戸惑っている。

2014年3月18日火曜日

自分のもの

この身と、時間と、悩みは
私の物だ。
だからこそ上手く利用するのだ。
うまく利用すれば自身にはっぱを
かける材料にもなろう。

どちらも常に持つものだ。
追って、追われてをうまく活用すること。

2014年3月17日月曜日

このことを

相談したいのか
愚痴りたいだけか
アピールしたいだけか。
指針の有無、考えの有無により異なる。

悩み

何だろう。
すごく面倒くさい。
朝はスッキリするもののはずなのに
何故こんなに面倒くさく、
物事に対する自身の指針が定まっていないのか。
この状態は何か。
これが悩みということなのか?

2014年3月12日水曜日

まず笑顔から

一日の始まりから終わりまで
まず笑顔から始める。
心も思考も柔らかく保ち、
流れる水のようにあること。

腹を立てたとしても
その素振りを見せぬこと。
話している時も常に聴き、
相手を立てること。
この人は私に何を求めているのか
何を欲しているのか
それを常に考えること。

私は私であり、人は人である。
人は関係なく、私が常に理想とする自分であることに邁進すること。


2014年3月11日火曜日

君の

人生はどうか?
あれから3年経った。
君は変われたか?
少しは成長したか?

2014年3月8日土曜日

なぜ

ステレオタイプの人生に満足出来るのか。
人生で得たい、成し遂げたいと思うことがあるはずだ。

君は何者か

君は自身を何だと思っているのか?
周りにどんな態度をとってきたのか。

なんぴとにも悪しざまに行いもせず、いいもせず。
いついかなる時も良き人であるように。

それが君の理想であったはずだ。
では君の一日の態度はそうであったと言えるか?
なるほど、特に悪い態度ではない。
特には、であるだけだ。
悪くなければ良いとは言えない。
君は良きものになりたいのではないのか?
ならばそのように在らねばならない。


今見ている世界は正しいか

心に残ったのでここにも残しておく。

批判を求めること。
きちんと自身の頭で考えること。

http://m.huffpost.com/jp/entry/4908767

2014年3月7日金曜日

自分から

自分から喋りにいかないと勉強にならないし、周りを緊張させてしまう。

TVで見ていて、はっとした言葉。
私は人から学びたい。
人から学ぶということは、話すこと、聴くことになる。
だが、待っているだけでは意味がない。時間が過ぎるだけだ。
自分からいくことだ。
機会が来ないなら私から赴こう。
意欲なら有り余っているんだ。

2014年3月5日水曜日

文句

人の仕事に文句を言うなら
まず自分が出来ているかを考えよ。
出来ていると言えるならば
私ならばこうするのだが、と
伝えてやるといい。
指示したことの結果が不満ならば
意図を説明し、自身はこうした方が
良いと思うが君はどう思うだろうかと
意見を聞いてみるといい。
より良い意見が生まれるかもしれない。

何故彼らはこんなに使えぬのかと
怒り心頭に達するならば
年下ならば、自身は彼らよりも何年多く生きているのかを考えてみるといい。
年上ならば、彼らは彼らなりの考えがあるのだから自分はこうした方が良いと思うがどう思うかを伺ってみるといい。
どちらの場合でも、私は彼らに出来ぬことが出来、知らぬことを知っていたかもしれないがその逆もまた然りであることを当然のように思い出してみるといい。

そもそも君は完全かを考えてみよ。
全く当てはまらない。
この世で最も遠いかも知れぬ。
ならば君にできることは何か。
文句を言う前に彼らの話を聞いて
彼らの良いところを探して学ぶことだ。
話すよりも、文句を言うよりも
学ぶことだ。

誰よりも自身を高めようと思う者は、
人に対して文句を言う暇などないはずだ。

2014年3月4日火曜日

遠慮

何を遠慮する?
誰に遠慮する?

愚痴るな
終わったことを悔やむな
よく思われようとするな

自由で

自由でありたいと思うなら
自由でいればいい

2014年3月3日月曜日

人間の

何%がやりたいこと、好きなことを望んだように出来るだろうか。
99.9%もいないかもしれない。
歴史を見ても、勝者は時代がそれを認めたから勝者なのだと感じた。
勝者にも敗者にも理由なら後からいくらでもつけられる。
負けるはずのないものが負け、勝つはずのなかったものが勝つ。
ひとえに時代がそれを認めたからだと思った。
それが残りの0.1%だ。
ならば99.9%として生きるか?
否。
例え結果的に99.9%であったとしても
0.1%の可能性を捨てるつもりはない。
捨てたらそこで人生は終わるから。
そのために準備をする。
爪を研ぎ、牙を磨き、繰り返す。
いついかなる時も闘えるように。
逃さぬように手ぐすねひいて待つ。
引き寄せる。
そう、引き寄せる。
こないならこっちから出向く。

19時からの勉強会へ

敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し。

よい。集中している。

人に願うこと

ユリウス・カエサルのような人物が何故出ないのかと嘆くならば、なぜ自身がそうなろうとしないのか。
私も同意見だからこそ、自身がそうなりたいと願う。

とはいえ、人に言えるのは自分は間違いなくあてはまっていないことだけだ。
自分が出来てないことを人に言うのはナンセンスだろう。
説得力もない。
だからこそ人に思うことは、まず自分から直そう。

更新が滞っていた(3/1の内容)

思い返しをしていないわけではない。
いや、していないか…
コミュニケーションやマネジメントの練習を兼ねたネットゲームでのチーム運営に注力しているうちに日が経ってしまった。

得るものは色々あれど
記載が出来ていないことは反省すべきこと。
投稿日は3月3日だが、3月1日として記載する。

3月1日で本ブログを再開して
4ヶ月が経過した。
最近は少々滞り気味になっている。
恥ずべきことだ。
そして、同様に覚書や反省を書いている手帳。
これも記載を始めて3ヶ月になった。

最近、どちらも滞り、後から思い返しての記載が多くなり気付いたことだが、一日というものは記載しなければ忘れてしまうということに気づく。

何を今更そんなことをと思われるだろうがそんなことも意識できていないのが小生である。

自身の手帳の最初に記載した言葉に以下の言葉がある。

一日を顧みて、どこか面白かった、楽しかった、本当に満足だったという所がなければ、その一日は無駄に過ごしたことになる。
私にとって、それは神に背くことであり、邪な事なのだ。
ドワイト・アイゼンハウアー

この格言は私からしてみれば、何も記録しなかった日と思えてならない。
3,4ヶ月の間に漫然と過ごした日もある。ゲームしかしなかった、ずっと寝ていたという日もある。
だが、そんな日でも頭は自由である。
全く頭が動かなかった日などなかろう。例え外界から刺激を受けなくてもそんな自分を顧みれば、それは無駄な日ではないのかもしれない。
しかし、考えたこと、起こったことを書かなかった日は数日後にはその内容を忘れてしまう。紙面の上では何もなかった日となってしまう。

それはまさに神に背くことなのだと思う。
私は無宗教とはいえ、それは自身のためにもならぬし時間の浪費であるから絶対に行ってはならぬことなのだと感じだと。