2014年8月8日金曜日

最近思う

なぜ君は早く読もうとするのか。
速読という言葉に踊らされてはいないか。
変なくせがついてしまっている。
正確に読めなくて何が読書か

2014年7月13日日曜日

過去

過去を話すことは好きじゃない。
聞くのはいい。
だけど、過去を懐かしんでも
悔やんでも今が変わるわけじゃない。
過去は現在に活かす為のツールだと思っているからあまり過去に固執しない。
でも、それは過去に向き合ってないのかもしれない。

過去がどうでも構わない。
現在の為に全てがある。
過去どんな人間でも、今が気に入れば
それでよいのではないかと思う。
と言いつつも判断基準にはしてしまうのだろう。

私は、過去と人の良いところを取り入れて、それを現在の自分に活かしていきたい。

それが現在の私の望み。
どんどん変わっていきたい。

2014年6月22日日曜日

Twitterで呟いて思ったこと

自分がわからないことに対して
わかったような口を訊かないこと。
わからないことを認め、発言した上で
自身の認識を話すこと。

人の考えは、その人の見方、認識により異なる。
まずそれを聞くこと。
アホだ、バカだはもってのほか。
己の品位をさげるのみ。

賢く見られて愚か者であるよりは
愚か者で見られて賢くあるべき。
自身を小さく見せることは戦術だが、
大きく見せることは戦術ではない。
リスクが大きい。

君の敵は自身の虚栄心である。
自身よりも大きく見せたいと思う心である。
虚栄心よりも野心を育てること。
虚栄心を制御すること。

よって、仮に人からバカ、アホ、使えないと見なされたとしても否定する必要はない。
私の目的に合致している。
不機嫌になる必要はない。
実よりも虚を見せ、虚よりも実を練磨すること。
君の生涯の大目的は私を愚かと断じた者から認められることかを考えること。
間違いなく否であることに気付くこと。

よって、笑って認めること。
認めて教えを請い、得るものがあれば吸収すること。
それは次に繋がる。

必ず機会はくる、その時を待つこと。
果敢であり、慎重であれ。
ほんの一瞬、相手のことを考え、俯瞰するべき。

誰よりも賢明であると思われることに価値を見出さないこと。
それよりも自身は誰よりも賢明であると思えるように磨くこと。



2014年6月9日月曜日

Toggle復活

ライフログを復活させた。
目的はひとつ。

今、君は何をしているのか?
を自身に常に問いかけるため。

そのためにどれだけの時間を費やしているかも必要だが、まずはそこから意識を変えていく。

2014年6月5日木曜日

こんな一日を

こんな一日を過ごしたいのか?

夜更かしして、朝は遅くに起きて、
昼ごはんだけ食べて暇つぶしと言わんばかりにアニメを見る。
頼まれた用事だけを行い
何も考えず寝っころがる。
しなければならないことはあるのに、
期限は迫っているのに動かない。
身内の心ない一言に腹を立て、売り言葉に買い言葉で怒りを抑えられぬ。
寝て、食って、寝て、ゲームするだけ。

こんな一日を過ごしたいわけじゃあないはずだ。



2014年6月4日水曜日

何故

2日続けて、1時間半も惰眠を貪ったのだろう。
朝は自分にムチを打たないと

2014年5月26日月曜日

早朝のラジオにて

顔は変えられないが
心は変えられる
言動は変えられる
変えられるものへの影響をふまえ
日々考えて行動すること。

2014年5月21日水曜日

伝達

人の伝達には限界がある。
私はあなたではない。
だから私には100%はわからない。
それは正しいのだろう。
私はそう考えていた。

だが、最初から諦めてしまうのは違う。
私はあなたではない。
でも、私はあなたの気持ちを100%わかりたいと欲する。
少しでも100%に近づけたいと欲する。

私にはわからない。
それは拒絶である。
自身を深めることのできぬ拒絶である。
それは私から奪うことはあれど、
与えることはない。

出来ぬと思うものに、出来るはずがない。
無知であっても出来ると思うものは
近づける。
結果として私は無知よりも遥かに愚か者である。

2014年5月11日日曜日

なりたい自分は2

きっと、受け入れる自分だ。
考えて、見つめて、良いと思ったものは取り入れて、そう思わないものは取り入れない。
より良い自分を作り上げていく自分だ。

なりたい自分は

ヘタレだのしょぼいだの
好き勝手言われて
ヘラヘラと肯定しているのが
自分のなりたい自分か?
わからない。
人の意見は聞くべきか?
じゃあお前がやればいいと言うべきか?
出来るものならやればいい。
具体性もなく、言葉を濁しつつ、
偉そうにと思ってしまう。

なりたい私はどうするべきだったか。
にこにこしながら軽くいなすべきだったか?
我慢して今に見ていろといるべきだったか?
どうあるべきだったのか。

私は彼らを冷たく見ていた。
自身を否定する彼らを冷たく見ていた。
何もわかっちゃいないと。
わかっていないのはどっちだ?
私は誰のためにやっている?
なりたい私は彼らのためにあるべきなのか、自分のためにあるべきなのか。

自分には何があるのか。
足りないものは何か。
現実が見えていないのはどっちか。
他者は関係ないと自分自身を突き詰めるか、他者の意見を取り入れるか。
くだらない、どうせわからないと切り捨てるべきか、
受け入れるか。

もやもやとしている。
不機嫌であり、イメージを模索してもいたり、迷ってもいる。
私はいかにあるべきか。
なりたい自分はどれか?

2014年5月9日金曜日

読みたい本をあげておく

読みたい本をあげておく。

この著者の最新作として現代語訳の孫子がある。
 現代語訳はどうでもいいのだが、彼の解説がみてみたかった。
だから今回はそちらを購入。
私は軍事オタクではない。
兵器は嫌いで、戦争は絶対認めたくない。
だからこそ戦わなくて済む方法を学びとりたい。

2014年5月4日日曜日

心を常に平静に

心を乱されぬように
他者の言動、振る舞い、
良きこと悪きことに。
良きことは謙虚に受け止め奢らず
悪きことは反省しつつも卑下せず

泰然自若。
虚心坦懐。
心を大らかに持って
常に天上より自身を見ること。
自分らしくない振る舞いをしようとした時は
自らをポカリと行うこと。
ことに臨もうとする時は背中を押すこと。
常に主観と客観、双方の視点をもって
ここに在ること。

2014年4月29日火曜日

高貴な精神を持ちたい

誇り高き自分でありたい。
誇りとは偉ぶることではない。
上から見ることではない。
見下すことではない。

他者の為に働くことができる自分
誰にも悪意を抱かない自分
皆人に思いやりを持ちうる自分
他者に影響を与えうる自分
一人が成せることなど限られている。
自身だけでは足りない。
他者とともに動ける自分に。
そして責任を伴いながらも快活で、自信を持って、常により良い道を模索していく寛容さを持った自分。

そうありたい。





2014年4月28日月曜日

寛容であること

"Clementia"であること。
ルビコンを渡った後は振り返らぬこと。
日々の内省と意識によって
自らの人格を変えること

2014年4月23日水曜日

カエサルより学ぶこと

例え誰に悪く思われようが、
許した人々が再度敵意を向けてこようが
そのようなことに心を煩わされたくない。
人の世は有限であり短い。

組織があれば、
どんなにフィルターを通していたとしても
賛成もあれば、中庸もあり、
反対もある。
それが原則なのだ。
ならば、言うことを聞かないなどと
心を煩わされることなく
私は私のやりたいことをやるべきなのだ。

反対意見をもつことが悪いのではない。
持たされることが悪いのでもない。
それらの人々とより良い明日を作れないことが悪いのだ。
寛容(クレメンティア)であること。

2014年4月22日火曜日

変わりたい

2014年ももう三分の一が過ぎようとしている。
ついこの間が四分の一だった。
次は二分の一となり、終わる。
時間とはかくのごとし。

この世に生を受けて
12495日目
タイムリミットまで
7859日

いつ変わるのか。
いつ成長するのか。
いつ、いつ、いつ!

Time is now

2014年4月13日日曜日

こうありたい

「私が自由にした人々が再び私に剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。
何ものにもまして私が自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。
だから、他の人々も、そうあって当然と思っている。」
カエサルからキケロへの手紙より。

自らの考えを持ち、人に正しく伝えること。
そして、その考えに忠実に生きること。
私は考えが足りない。
このままではいけない。



2014年4月10日木曜日

Hahaha

Don't mind.
たいしたことはしてないさ。
気にするな。

という心持ちを常に持っておこう。

2014年4月4日金曜日

泰然自若

このようにあるために

カッとなった時

話が二転三転しているように感じ、
それが伝えても相手に伝わらない。
そして、それを自分のせいのように言われた時。

要はカッとなった時。

自制することだ。
自らを抑えることだ。
私は根は短気だ。
カッとなる。
口も悪い。

だからこそ、
煮えたぎる胸の内を
悟らせないことだ。

どうでもいいことはゆずることだ。

2014年4月2日水曜日

できない理由

できない理由、やらない理由
探しても仕方が無い。
まずはやろう。
そこに邪魔が入るなら
それを取り除くために人に助けを
求めればいい。

2014年3月31日月曜日

自省録より

あらゆることにおいて理性に従う者は、悠然と構えていながら同時に活動的でおり、快活でありながら
同時に落ち着いているものである。

ゆっくり急げ

2014年3月29日土曜日

そうだな

笑顔で過ごすこと。
周りからの影響で動くのではなく
周りがどう動こうが自身のペースで
動くこと。

にっこりといくことだ。

久しぶりにリンカンを読みたくなった。
優しい気持ちになれる。

2014年3月27日木曜日

落ち着くのだ

昔から可愛がっていた子が
高校生になるのだが
大人びたことを言うようになっていた。
正直、何を生意気なことをと思ったが…これが成長ということか…
私も成長せねばならない。
大人になろう。

2014年3月25日火曜日

妹の結婚式を終えて

国外に行っていたため更新ができていなかった。
妹の旦那や親戚縁者を含めて
コミュニケーション能力が高いのには良い刺激を受けた。
私もそうありたいし、何より言葉の大切さもそうだが伝えようとする意思が大切なのだと感じた。

彼らを見習わねばならない。

2014年3月19日水曜日

理由わかったかも

人がいいのか、バカなのか。
余計なことをするからだ。
君の働きは無給で出来ることか?
無給で提供出来るようなことか?
もしそうならば君の働きなど
その程度のもの。
君は自分の働きと、質を無料で提供出来るようなものだと思っているのか?
もしそうなら君はプロなどではない。

最近の自分

仕事が残り気味だ。
忙しかったかと聞かれたら、恐らくは忙しかった。
恐らくはと思う位だからそこまででもないはずなのだが、何かはしていた。
では、何をしていたたと聞かれたら…
わからない自分がいる。
結果として何を成したかと思うと首をひねる自分がいる。
正直戸惑っている。

これを打開するには現状を正しく把握するしかない。
そして、当たり前のことだが優先順位を決めること。
今からやるべきか否か。
どの位、何時までかかるか。
人の割り込みも同様。
刺激と反応にスペースを。
人はこっちの都合まで考えてはいない。
自分で守らねばならない。

締め直さねばまずい。
正直戸惑っている。

2014年3月18日火曜日

自分のもの

この身と、時間と、悩みは
私の物だ。
だからこそ上手く利用するのだ。
うまく利用すれば自身にはっぱを
かける材料にもなろう。

どちらも常に持つものだ。
追って、追われてをうまく活用すること。

2014年3月17日月曜日

このことを

相談したいのか
愚痴りたいだけか
アピールしたいだけか。
指針の有無、考えの有無により異なる。

悩み

何だろう。
すごく面倒くさい。
朝はスッキリするもののはずなのに
何故こんなに面倒くさく、
物事に対する自身の指針が定まっていないのか。
この状態は何か。
これが悩みということなのか?

2014年3月12日水曜日

まず笑顔から

一日の始まりから終わりまで
まず笑顔から始める。
心も思考も柔らかく保ち、
流れる水のようにあること。

腹を立てたとしても
その素振りを見せぬこと。
話している時も常に聴き、
相手を立てること。
この人は私に何を求めているのか
何を欲しているのか
それを常に考えること。

私は私であり、人は人である。
人は関係なく、私が常に理想とする自分であることに邁進すること。


2014年3月11日火曜日

君の

人生はどうか?
あれから3年経った。
君は変われたか?
少しは成長したか?

2014年3月8日土曜日

なぜ

ステレオタイプの人生に満足出来るのか。
人生で得たい、成し遂げたいと思うことがあるはずだ。

君は何者か

君は自身を何だと思っているのか?
周りにどんな態度をとってきたのか。

なんぴとにも悪しざまに行いもせず、いいもせず。
いついかなる時も良き人であるように。

それが君の理想であったはずだ。
では君の一日の態度はそうであったと言えるか?
なるほど、特に悪い態度ではない。
特には、であるだけだ。
悪くなければ良いとは言えない。
君は良きものになりたいのではないのか?
ならばそのように在らねばならない。


今見ている世界は正しいか

心に残ったのでここにも残しておく。

批判を求めること。
きちんと自身の頭で考えること。

http://m.huffpost.com/jp/entry/4908767

2014年3月7日金曜日

自分から

自分から喋りにいかないと勉強にならないし、周りを緊張させてしまう。

TVで見ていて、はっとした言葉。
私は人から学びたい。
人から学ぶということは、話すこと、聴くことになる。
だが、待っているだけでは意味がない。時間が過ぎるだけだ。
自分からいくことだ。
機会が来ないなら私から赴こう。
意欲なら有り余っているんだ。

2014年3月5日水曜日

文句

人の仕事に文句を言うなら
まず自分が出来ているかを考えよ。
出来ていると言えるならば
私ならばこうするのだが、と
伝えてやるといい。
指示したことの結果が不満ならば
意図を説明し、自身はこうした方が
良いと思うが君はどう思うだろうかと
意見を聞いてみるといい。
より良い意見が生まれるかもしれない。

何故彼らはこんなに使えぬのかと
怒り心頭に達するならば
年下ならば、自身は彼らよりも何年多く生きているのかを考えてみるといい。
年上ならば、彼らは彼らなりの考えがあるのだから自分はこうした方が良いと思うがどう思うかを伺ってみるといい。
どちらの場合でも、私は彼らに出来ぬことが出来、知らぬことを知っていたかもしれないがその逆もまた然りであることを当然のように思い出してみるといい。

そもそも君は完全かを考えてみよ。
全く当てはまらない。
この世で最も遠いかも知れぬ。
ならば君にできることは何か。
文句を言う前に彼らの話を聞いて
彼らの良いところを探して学ぶことだ。
話すよりも、文句を言うよりも
学ぶことだ。

誰よりも自身を高めようと思う者は、
人に対して文句を言う暇などないはずだ。

2014年3月4日火曜日

遠慮

何を遠慮する?
誰に遠慮する?

愚痴るな
終わったことを悔やむな
よく思われようとするな

自由で

自由でありたいと思うなら
自由でいればいい

2014年3月3日月曜日

人間の

何%がやりたいこと、好きなことを望んだように出来るだろうか。
99.9%もいないかもしれない。
歴史を見ても、勝者は時代がそれを認めたから勝者なのだと感じた。
勝者にも敗者にも理由なら後からいくらでもつけられる。
負けるはずのないものが負け、勝つはずのなかったものが勝つ。
ひとえに時代がそれを認めたからだと思った。
それが残りの0.1%だ。
ならば99.9%として生きるか?
否。
例え結果的に99.9%であったとしても
0.1%の可能性を捨てるつもりはない。
捨てたらそこで人生は終わるから。
そのために準備をする。
爪を研ぎ、牙を磨き、繰り返す。
いついかなる時も闘えるように。
逃さぬように手ぐすねひいて待つ。
引き寄せる。
そう、引き寄せる。
こないならこっちから出向く。

19時からの勉強会へ

敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し。

よい。集中している。

人に願うこと

ユリウス・カエサルのような人物が何故出ないのかと嘆くならば、なぜ自身がそうなろうとしないのか。
私も同意見だからこそ、自身がそうなりたいと願う。

とはいえ、人に言えるのは自分は間違いなくあてはまっていないことだけだ。
自分が出来てないことを人に言うのはナンセンスだろう。
説得力もない。
だからこそ人に思うことは、まず自分から直そう。

更新が滞っていた(3/1の内容)

思い返しをしていないわけではない。
いや、していないか…
コミュニケーションやマネジメントの練習を兼ねたネットゲームでのチーム運営に注力しているうちに日が経ってしまった。

得るものは色々あれど
記載が出来ていないことは反省すべきこと。
投稿日は3月3日だが、3月1日として記載する。

3月1日で本ブログを再開して
4ヶ月が経過した。
最近は少々滞り気味になっている。
恥ずべきことだ。
そして、同様に覚書や反省を書いている手帳。
これも記載を始めて3ヶ月になった。

最近、どちらも滞り、後から思い返しての記載が多くなり気付いたことだが、一日というものは記載しなければ忘れてしまうということに気づく。

何を今更そんなことをと思われるだろうがそんなことも意識できていないのが小生である。

自身の手帳の最初に記載した言葉に以下の言葉がある。

一日を顧みて、どこか面白かった、楽しかった、本当に満足だったという所がなければ、その一日は無駄に過ごしたことになる。
私にとって、それは神に背くことであり、邪な事なのだ。
ドワイト・アイゼンハウアー

この格言は私からしてみれば、何も記録しなかった日と思えてならない。
3,4ヶ月の間に漫然と過ごした日もある。ゲームしかしなかった、ずっと寝ていたという日もある。
だが、そんな日でも頭は自由である。
全く頭が動かなかった日などなかろう。例え外界から刺激を受けなくてもそんな自分を顧みれば、それは無駄な日ではないのかもしれない。
しかし、考えたこと、起こったことを書かなかった日は数日後にはその内容を忘れてしまう。紙面の上では何もなかった日となってしまう。

それはまさに神に背くことなのだと思う。
私は無宗教とはいえ、それは自身のためにもならぬし時間の浪費であるから絶対に行ってはならぬことなのだと感じだと。

2014年2月26日水曜日

同じ一日

時間は同じだけ与えられており
私は寝て過ごし、彼らは必死に過ごす。
そして自分は報われないと思う。
もはや何を言っているのか。
そういう人間を愚か者という。

社会を

見て、ちゃんと考えること。
自分で学ぶこと。
問題と、そのためにはどうするかを
まとめること。

目指すべきところは遥かに、遥かに遠い。
一歩ずつ進むしかない。
今の私にはこのような思考には辿り着けないし、何より書くことは出来ない。

2014年2月23日日曜日

約1週間

ほとんど更新できていない。
なぜか?
私がたるんでいるのもある。
だが、もっと別の要因をふと考えた。
言い訳だと自分でも思えるが必要なことだと思いたい。

要因はこの一週間
人とほとんど接していないこと。
夜勤が続いたため、文字通り家族と
前の担当、後の担当という2名のみである。
それも朝と夜の静寂の中での会話のみ。
私はそこから何の刺激も学びも得られていないのではないか。
とりたてて書けることもなかったのではないかと。

何かを学ぶとき、
そこにかかわってくるのはやはり人ではないか。
人は自身の鏡というが、ふとそれを感じた。
人と、出来事、つまり刺激から学びうる。

ずっと刺激を受け続けた場合。
振り返ることができない。
顧みることができない
これは自身にとって良くないことが容易に想像できる。
では、静寂、自身の中のみの場合はどうか。
普通の人ならばそこからでも学びうるのだろう。
だが、私はその域に達していない。
何も学ばず、無駄に日を過ごす。
文字通り無駄に。無益に。

上述したようにこれは言い訳である。
人、出来事を超えて、公共のニュースからでも
学ぶものは学ぶ。
自然からでも学ぶ。
だが、私はそこまで意識が回っていないということだ。
意識があるならば、人と出会わなくても本から刺激されて学ぶはずだ。
だが、本すらあまり読んでいない。
自身にとってまったく良くない。

本日で生まれてから12437日が経過した。
一週間前は12430日だ。
その間、君は何もできなかった。
何も学ばなかった。

浪費した。




2014年2月22日土曜日

愚か者を待つ道理はない

機会はいつまでも愚か者を待ちはしない。
待つ道理がないからだ。
だから君はその機会を狙いすまし、
必要であれば大胆に進むべきだ。
そうあるべきだったのだ。
だが、君は2日も遅らせた。
それだけではない。
2ヶ月遅らせてることもあるだろう?
トリガーは何だ?
何故トリガーを引かなかった?
いつでもできると思ったか?
だから君は愚か者なのだ。
時は金なり。

2014年2月20日木曜日

自分自身へ

弱い自分よ。
愚かな自分よ。
私は、君たちの居場所を認める。
何故なら君たちがいるからこそ
私は省みることが出来るから。
伸びしろを感じることが出来るから。
だが、君たちの好き勝手は許さない。

何故?

君は怠惰になっている。
何故夜勤明け8時間も寝ている?
それも15時ごろに一度起きて。
やりたいこともやらず
無駄に過ごす。
わかっているのか?
今日は君が生まれて12434日になる。
その日を君はほとんど寝て過ごした。
そもそもこの一週間ほど寝て過ごした。
何をしてきた?

何故?

君は怠惰になっている。
何故夜勤明け8時間も寝ている?
それも15時ごろに一度起きて。
やりたいこともやらず
無駄に過ごす。
わかっているのか?
今日は君が生まれて12434日になる。
その日を君はほとんど寝て過ごした。
そもそもこの一週間ほど寝て過ごした。
何をしてきた?

ここ数日

ちゃんとブログや日記で
日々を省みれていない。
そのせいか、日の印象が薄い。
君は何をしている?

2014年2月16日日曜日

文句

人に文句を言う前に
人に文句を言えるような
人間になってみてはどうだ?

自己矛盾

何故、本人ではなく他人に文句を話すのか。
そうすることで同情、共感が欲しいのか?

何故君は自身の精神を穢すのか?
君は、自省録は精神の洗濯だと思っている。
では聞くが、誰が君の精神を穢すのだ?
何が君の精神を穢すのか?
君は知っている。
出来事に対してどう反応するかの重要さを。
ならば、君の精神を穢すのは
君自身のみではないか?
そもそも何者が君の精神に触れられるというのか。
君自身でしか触れられぬはずだ。
君が自分を穢さなければ
精神はいつまでも穢れないだろう。
洗濯が必要ないほどに。

そう。
精神が穢れるものだと思うから
いけないのだ。
精神とは汚れるものではない。
君の精神を穢し、汚し、貶めているのは君自身なのだ。

その事実に君は気づくべきだ。

2014年2月15日土曜日

中から外へ、中へ中へ

自身から周りへの影響の与え方を考える。
方法として中から外へ影響を与える。
七つの習慣ではインサイドアウトという。
これとは別に中を掘り下げていく
影響の与え方もあると思う。
足元を掘るということだ。
地盤固めと言えるかもしれない。
いずれも大切なことだと思う。
しかし、どちらかだけでは限界が来るのではないか。

そういう意味で私は
足元に対してのみ掘っていた。
それだけではいけない。
外に目を向けることだ。
仕事ならば、チーム内、社内だけではなく、顧客へ。

2014年2月14日金曜日

君に関する情報を書く

私は1980年2月5日火曜に生を受けた。
そして、君は2036年2月5日火曜に生誕20454日を迎える。
Abraham Lincolnは56歳で世を去った。
Steve Jobsは56歳で世を去った。
Gaius Julius Caesarもまた54〜55歳で世を去った。
君もまたその日を第三の人生を終える日として過ごせ。

自分を変えなければ、変わり続けなければ
君は一生何者にもなれはしない。



2014年2月13日木曜日

生まれてから

12426日も経つというのに
君はなぜ未だに賢明になれないのか。
なぜ未だに恥さらしなのか。
君はいつ賢明になるのか。
いつ恥をさらさなくなるのか。
君が賢明でないのはなぜだ?
ひとえに君の傲慢にある。
何もなしていないくせに、何かをなしたかのような傲慢さ。
謙遜をもたない。
君が何をなしたというのか。
よろしい、何かをなしたのだとしよう。
で、それで君は満足するのか?
その程度で君は満足する程度の人間でありたいのか?
違うだろう。
何を目指しているのか。
それを掲げよ。

2014年2月12日水曜日

恥知らずめ

自分の頭を外してサッカーボールにしたいくらいだ。
この恥知らずな頭を。
冷静に考えたところ
私は何てことを人に告げたのか。
この恥知らずめ。
頭を取り外して人にサッカーボールに
されても文句は言えない。
ぽわぽわとよく弾むだろう。
愚か者め!!!

2014年2月10日月曜日

お金を払ってまで

無駄に塩分と脂分を摂取するのを
やめてはどうだ。
君はそれで何を得るのか?
一時の快楽と、その後の苦しみ。

喋ること

君は気持ち良く喋らせてもらっているだけなのだ。
違うだろう。
君は聴くものだろう?
君は気持ちよく喋らせてあげるものだろう?

2014年2月9日日曜日

君はすぐに調子に乗る

君はすぐに調子に乗る。
ついついいい気分になると口が滑る。
そして、見知った気分で話す。
親しくない人を親しいかのように話す。
だから君は重要ではない人間なのだ。
重要な人間になりたいならば
その舌を制御することだ。

2014年2月8日土曜日

備忘録

備忘録として記載しておく。

必ず舞い戻る。


「アントニウスよ。女は「だから」に身をゆだねる。男は「なのに」に身を焦がす、そういう生き物であるとは思わぬか。

いかなる怒り、いかなる力が元老院にあろうとも、我々は取り拉ぐ栄光を彼らに許すわけにはいかんのだ。

我々はガリアの地における成功で安住の余生が送れるという理由で元老院に膝を屈し慈悲を請い、彼らが勝利に奢り、喜びの情に溺れ、支配権をほしいままにする圧政者としてローマを掌中に収める姿を横目に見るわけにはいかぬ。

支配者には名誉と責任は同じくらいつきまとうものであり、他人以上に名誉ある地位につけば、それだけいっそう危険に身をさらす責任もあるはずだ。

そこに暗澹たる戦火が待ち受けていようとも、今こそ我らの信念の火を灯さなければならんのだ。

ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。

進もう、神々の待つところへ! 我々を侮辱した敵の待つところへ!

は投げられた!

2014年2月7日金曜日

三笠記念艦

戦争は政治上の選択肢である。
最も下等な選択肢である。
望んで行うようなことではいけない。
この艦を見てそう思った。

フィードバック

間違いなく言えることだが、
私が誤った言動を行った場合、
人は私を指導してはくれない。
指導してくれる方が珍しい。
大概は人からは何も言わず離れていく。
そして私の預かり知らぬところで
不満を伝えるのだろう。
離れていった人から学ぶところは
そんな状況が多いのかもしれない。

だからこそ私は
自分から学ぶことだ。
反省をし、必要ならば謝罪を行うことだ。
フィードバックを行い改善していくことだ。

私は君を大切に思っている。
君は私から好感を感じられただろうか、と。
もともと私は物をあげることでしか
好意を示す方法をしらない。
より感情を表現するにはどうするか。
人から学ぶことだ。
私に対しての感情から。

2014年2月6日木曜日

誕生日のことについて

人のことをどうこういう前に
まず自分が良き人に、なりたい自分に、
理想の自分になってはどうだ?

私は昨日34歳の誕生日を迎えた。
生まれてから12418日目だ。
うるう年は8回を終えて2年経つ。
目標とする56歳まで20454日。
うるう年は14回目の年だ。

34/56歳
12419/20454日
8/14閏年

後8035日…

そこで君に提案する。
一日のことについて、何々した日、と
ひとつのことで終えるのをやめにしようではないか。
一日にひとつのみだと後8035回しか出来ない。
それを複数にするだけで
残りの日の密度は増えていくだろう。

今日は東京への移動日。
だけではなく、もっと入れていけ。

わかっているんだ

どんなにいい本があっても、
いい教材があっても、
いい教師についても、
自分がやらなければ変わらない。

自分が出来るようになったのは何故か。
いい本、いい教材、いい先生もあるが
何より自分がやったからだ。
続けたからだ。

私は以下のことを再度考えよ。

教官の善悪、書籍の良否等を口にする者は、到底啓発の見込み無し。

2014年2月5日水曜日

人はそれぞれ

自分は、自分だけは、自分たちは
周りと異なると思うからこそ
誤解、軋轢、悲劇を生むのではないか。

もちろん細かな差はある。
だが、共通の部分はないか?
ベン図の共通部分はあるはずだ。

彼に起こることは
私にも起こる。
それは時代を超えてそうなる。
だからこそ学ぶべきだ。
彼に起こったことを
私がうまくやるために。
私に起こったことを
彼がうまくやるために。
そして、何より思いやりを、
共感をもって人と共にあるために。

自身が死を迎える日を考えよ。
その日は急にくるかもしれない。
事前に死期を悟るかもしれない。
だが、いつくるかわからないものを待つ必要はない。
こちらから死へ向かうつもりは毛頭ないが
自分がこの日に死ぬと設定して
そこに向かうことはできる。
その日から逆算して、あと何日生きるか。
そう考えれば一日も無駄にはできないだろう。

何も起こさなかった日、
何も感じなかった日、
何も学ばなかった日こそ
その日一日死んでいた日であると思うから。



2014年2月3日月曜日

眠れぬ夜は誰のせい

布団の中で行ったゲームか?
暗闇で読んだiPadでの漫画か?
iPhoneでSNSか?
それらもあるだろう。
しかし、それらを遠ざけられぬ君だ。
朝の気だるさの原因は全て君にある。

明日には目覚ましが届くだろう。
君はiPhoneやゲームを傍らから離すのだ。
電源を切ってやれ。
そんなものを見るなら書を読むといい。
君には読書は許されているのだから。

2014年2月2日日曜日

皆一様に

私の周りは私に教えてくれる
教師ばかりである。

全ての人から学べるし
全ての人を取り込むことができる。
生き方は行動に現れる。
私もそうだ。
よって、私は言動には細心の注意を
払わねばならない。

圧倒的に

知性が足りない。
大学にいかなかったからか?
そうではないだろう。
無駄に過ごしてきたからだ。
取り戻すのではない
当時では得られなかったことを得るのだ。

自省録を読んで思うこと

その一文一文で頭に血が巡ることを感じ、
心と頭が洗われていくような感覚になる。

諸君、美しい言葉を味わいたまえ。
この美しい思想を30歳になるまで知らなかったという
その一念において私は不幸だったと思う。

2014年2月1日土曜日

東京行きを

断った。
二つ話をいただいて、どちらもとても良い話だった。
東京には行きたい。
3度目の挑戦として。

だが、今の自分がそれに足るか。
行ってどうするのか。
それを考えた時、答えが出なかった。
人生を変えるには、場所を移る、付き合う人を変える、と色々あるだろう。
だが、たとえそれを行ったとして
それを受ける私自身が変わっていなければ同じではないか。

私は退路を断った。
前へ進むこと。
先に東京があり、その先に世界がある。
東京は通過点に過ぎない。

話をくれたお二方。
紹介してくれた友人には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
しかし気落ちはしていない。
私は近いうちに東京へ戻ることになる。望まれて。
そういう予感がするから。

弁論大会壮行会

多々ますます弁ず。
人前で喋る時、聴衆は多ければ多い程よい。
この高揚感は楽しさである。

と、楽しさを述べてはみたが
私の弁論の内容は暗い。
よって、笑顔を入れよう。
にっこりと笑うこと。

2014年1月29日水曜日

物事について待つとき

この物事のトリガーは何なのか。
時間経過で引かれるものか、
想定される周りの状況で引かれるものか、
期待することが成就したときに引かれるものか、
いずれでもない場合、つまり君に心の準備ができていないと
いうだけで引けない場合。

トリガーは早く引けばよいものではないが、
トリガーを引く為に必要な別のトリガーがあるならば
それを考えよ。
何もないならば、それは君の勇気による。
目的を狙う為に、怖いと、明日でいいと後回しにする君の怠惰である。
今日引くも明日引くも同じはずがない。
その怠惰で君はきっと損をする。

勇気を。
狙い、トリガーを引く勇気を。



2014年1月28日火曜日

未来について

目的のない行動は結果を生まない。そこから得られる結果は偶然でしかない。偶然はあてにはできない。

過去も現在も未来も
変わらぬものは自分が自分の主人であるということ。
私が決めるということ。

反応

反応は選び取るもの。
結果を思い描き、天秤にかけるもの。
君の頭では理解しきれないならば
紙に書いて想像せよ。
その目的は何か、そこから得る、
期待する結果は何かと。
全て君によるもの。
全ては君がなせるもの。

反省

自他に益、自身に目的のないこと
語るなかれ

2014年1月27日月曜日

認めること

認めることだ。
何の為に行っているのか、
自分が何をしたのか、
目的は何かを見据えて。

2014年1月26日日曜日

負けたくないこと

他人には負けたくない。
が、何よりも自分には負けたくないと思う。

他者に対して何か悪いことをした場合、
それも間違いなく落ち度が自分にある場合。
例えば、本日おこったようなことだ。
すぐに謝ることだ。
言い訳などせず。
勇気を出して。
本日の私の落ち度は、車の内装を傷つけたこと。
そして、それを3時間後に告げたこと。
また、多分自分の責任だと、間違いなく自分の責任なくせをして
言い訳をしたこと。

では、君は何の為に謝ったのだ?
相手に悪いと思ったからではないのか?
自分に負けたくないと思ったからではないのか?
ならば認めることだ。
何の為にこのような行為を行っているのか、目的を考えることだ。
下げる必要のない頭なら下げる必要はない。
心から下げる必要などない。
だが、必要があると思ったことなのだから心から、すぐに行うことだ。
案の定「早く言いなさい」と開口一番に伝えられた。
全くその通りだ。
私は自分に対しての勝者になるつもりだったが、結局負けていたのだ。

2014年1月25日土曜日

言葉から

言葉と態度から変えていくこと。
反応を、腹の立った時とかだけではなく、より日常的に選んで行くこと。

これは自身の客観視につながる

2014年1月24日金曜日

笑われても

私には理解できない。
いや、気持ちは痛いほどよくわかる。
私もかつてはそうだったから。
だからこそ理解できない。

仮に笑われてでも、無様でも
その経験が出来るなら
学ぶことが出来るなら
いくらでも転ぶつもりだ。

本番で転ばないために
いくらでも転んで転び方を学ぶつもりだ。

七つの習慣

研修を受けた。
明日は2日目。
本を持ってはいるがちゃんと
研修を受けたのは初めて。

まだまとまりきっていない。
少なくとも私は
主体性と自主性、
パラダイムと価値観を勘違い
していたのかもしれない。

もう少し考えて取り込んでみる。
私にとって有用かどうかの判断も含めて。

信条まとめ

1.他者のなしたことは許すこと
2.寛大な心で迎え容れること
3.人の話を感情移入して聴くこと
4.全ての物事に感謝すること
5.目的をもって言動を行うこと

ドグマ2

ありがとう

全ての物事に、私の周りの私以外の全てのものに感謝すること。
在って当たり前のものなどないとかつて知った。

全ての物事に感謝すること。

かつて感じた

朝目が覚める幸せ
太陽を見ることのできる幸せ

地面を歩くことのできる幸せ
声を発することのできる幸せ
助けを呼ぶことの出来る幸せ
誰かが自分に呼びかけてくれる幸せ

君はかつてそれを感じた。
病気した時に。

いつかまた出来なくなる。
出来なくなるのだ。
だから、大切にせよ。
これらのことに慣れることなく
大切に、大切に

2014年1月23日木曜日

ドグマ

信条を律することだ。
君だけの信条を律することだ。

どのようなものがあるか。
人に迷惑をかけない、とも考えたが
間違いなく私は人に迷惑をかけることもあるだろう。
だから、人が自分に迷惑を掛けた時は
寛大な心で許すこと。
他者のなしたことは許すこと。

寛大な心で迎え入れること。

例えば迷惑だと感じるのは私の心の持ち方がそうだからだ。
人が望むことは何かを考えて言動を行え。

人の話を感情移入して聴くこと。

善き人であること。
自分が善い人であると思うような行動を取ること。言動も然り。

信条を決めていく。


精神の洗濯

精神を洗濯すること。

汚れは
自身を卑下すること
無理だと思うこと
他人を憎むこと
不平不満を言うこと、思うこと
粗野な言葉遣い
いらいらした態度

これらの私からなる私だけの汚れを
自省録とオーケストラの音色で
洗濯する。




2014年1月22日水曜日

にっこりと

疲れた時こそ
落ち込んでる時こそ
いいことがないと思う時こそ

笑いなさい。

疑うな

疑うな。
疑えば負ける。
喧嘩も勝負も人生も。

現実

慣れてはならない。
君は君の中にしか
安住などもたないのだ。

今の自分に

何があるというのか。

何もない。
私という一個のみ。
私以外のものは永続しない。
この一個を使うこと。

2014年1月21日火曜日

身体を使う、頭を通す。

今、自身が何をしているのか。
どのような動きを行い、どのような言葉を作り、発しているのか。
慣れてはいけない。
丁寧に行うこと。
偶然できた、力任せにできた、指を少し左に動かしたからできた、では意味がない。
頭を通して、身体を動かす事。

2014年1月19日日曜日

自分自身へ

学べ!動け!自信をもて!

目の前を

一個一個確実に。

私はなんでもかんでも
目が向いてしまう。

全体をみる能力は大切だが、
瑣末に囚われて大局を軽視してしまう傾向にある。

重要なことはこれだと決めたら
後は全て削ぐことも重要なこと。

2014年1月17日金曜日

怒り

久々に我を忘れそうなほど怒りを覚えそうになった。
大人気なかった。
気をつけねばならない。

心無い言葉とはこうも突き刺さる。
当人にはそれとない言葉であっても、人の大切にしているものを理解しようとしてすらくれない態度が
明らかに表れるとこうなる。
そうならないようにも気をつけよう。

2014年1月16日木曜日

失策

視野が狭い。
まず影響範囲を考慮しておくべきだった。
そして、思考を重ね、そこからまた再度影響範囲を考慮しなおすべきだ。
想定よりも影響範囲が広かった。
まさかこのようなことで出てくるとは…などとは言えない。
私の思考が足りなかっただけだ。
私は止めることのできる立場にいた。
しかし、その影響範囲を、視野を狭く見積もっていたために
結果的に意味のない、恥ずかしい行動となった。
今日という失敗を忘れるな。


2014年1月15日水曜日

ヘイトツイートを見て

他者を下げて、自身をあげるようでは今後の成長は期待できない。
君よ。
他者にむしろ譲ってやれ。
譲れるほどに功績を積むように。
成長するように。

何度でも言うが

上の立場の人間とは突き動かすものだ。
遠慮をするな。
任せるな。
指示を仰ぐなどもってのほか。
君の意図した通りに動いて頂け。

2014年1月14日火曜日

今日と明日

例えば今日という日が素晴らしい日だったとする。
では、明日も今日と同じような日が続けばいいと思うだろうか。

思う人もいるだろう。
だが、私は思わない。
例えどんなに素晴らしい日であっても
同じような日は続いてほしくない。
よかれ悪しかれ違う日となってほしい。
そうでなければ人生がつまらないではないか。

明日も今日と同じように過ごすのだ。
そんなのは嫌だ。
例えそれが素晴らしい日であっても。

よって、君は動くべきだ。
今日という日を昨日とは違う日にするために。

無題

目的が見出せないことなら、やらなくていい。

2014年をどうするか

2014年をどうするか。
どのような目的の元に資源を使うか。

2014年1月12日日曜日

何も

何の失敗もなかった日、
何も学ばなかった日、
何に対しても心を動かされなかった日、
何をしたか思い出せない日、
日記に何も書くことのなかった一日は
時間を浪費しただけの日となる。

そこに在りながら、無かったようなもの。
食べて、寝ただけのようなもの。
生きながらにして死んでいるようなもの。

そんな日は努めて避けねばならないのではなく、
あってはならない。
贈り物をされて、礼も言わないようなものだ。

今日という一日はもうないというが
確かにない。
例えば、2014年1月12日。
どうぞ、歴史の彼方から同じ数字を持つ日をさがしてくるがいい。
どこにもないはずだ。
2014年1月12日、2013年1月12日、2012年1月12日...。
一年前は何してた、二年前はと年単位で物事を考えることがあるが
同じ日など何もないのだ。
今日、この日、今のこの時間が膨大な歴史、地球誕生以来の時の流れの中で唯一である。

手のひらから零れ落ちる水を口に運ぼうとするように。
二度とないもの、二度とえられない時間を
賢明に生きねばならない。
君が寝ている間も、食べている間も、二度とないのだから。

2014年1月11日土曜日

一日一日

一日一日に真摯に取り組むこと。
今日という日は二度とない。

今日は何をするために生きたか。
何を目的として生きたか。
何を目指して生きているのか。

2014年1月10日金曜日

桑田氏と金田氏の対談

News ポストセブンの以下の記事。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140110-00000011-pseven-spo

この対談はいろいろと参考となった。
雑誌記事等はほとんど読まないのだが、たまたま見かけたこの記事をみて
対談というのはいろいろと参考になるものだとも感じた。
また、それに対するFacebookコメントも非常に参考になった。
メモとして置いておきたい。

まず、ツーシームに関して
金田氏が知らないことに対して、ライターが驚く。
──えっ、ご存じないんですか?
おそらく知っていて当然と思っていたために余計に驚いたのだろう。
とはいえ、この反応に関してライターが駄目というつもりもない。
誰しも自分の想像と違っていたら驚くものだと思うから。
そのワンクッションがあったからかもしれないが、
桑田氏は説明口調ではなく、静かに事実を伝えている。

一般的なストレートから、握りの向きを変えて、縫い目に人差し指と中指を沿わせて握るボールです。少しムービングするので、最近、多用されていますね。
ここで学ぶべきことは、相手が知らないということを受け止めることだろう。
そもそも知っていて当然などということはおこがましい話だ。
誰しも知らないことはある。だから人は学ぶし、知ろうとする。
相手が知らない場合は、それを受け止めた上で伝える。
否定はしない。驚きもしない。肯定した上で、伝える。
ここの対応を間違えると不快に思う人も多いと思う。
私自身もそう感じたはずだ。
気をつけねばならない。

D・カーネギーの本に確かあった言葉だが
相手が知らないと言ったことは、忘れているのだといって伝えてやる。
というのがあったはずだ。まさにそれだろう。

続いて、桑田氏が金田氏を尊敬して、褒めている点、
金田さんのような超一流のカーブは、
と尊敬を言葉にしている。
それを受けて気持ちよくなったのだろう。
金田氏も自身の球を
もはや芸術の域だよ。
と自画自賛している。それに対して、桑田氏の
すごいなァ。スローカーブはなかなかコントロールができない最も難しい球ですよ。
と褒め言葉をかぶせる。実際すごかったのだろう。
桑田氏の本心であるにしても、金田氏も気持ちよく話せたに違いない。

誰が優れているという訳でもなく、
誰が劣っているという訳でもない。
ありのままに認め、相手を尊敬すること。
相手を下げること、けなすこと、否定することで自分が上位に立たないこと。
言質の正誤よりも対応によって人の上位は決まる。

リンカンの言葉より

どうでもいいことは譲るべきだ。
恐らく相手が間違っている内容でも
譲るべきだ。
しかし、抗議すべき時に抗議しなければ人は臆病者になってしまう。
そのバランスを君はとらねばならない。

2014年1月9日木曜日

君主たるもの

他者に左右されるような状態からは、できる限り自由であらねばならない。

もちろん私は君主ではないが
一人の人間としてそうでありたい。

2014年1月8日水曜日

リンカンの言葉

I don't like that man. I must get to know him better.

「私はあの人を好きではない。ということは、私はあの人をもっと知るようにしなければならないということだ。」

この言葉に従おう

仕事が出来ない同僚

仕事が出来ない同僚に対して
仕事を任せないようにする案が
出ている。

仕事の出来る出来ないは
意識の違いだと思っている。
そして、周りの環境、経験の違い。
経験とは仕事経験ではない。
意識を変える経験をしたかどうかという事。

まず、彼が何を目指しているのかを確認するべきである。
特にないのであれば何のためにここにいるのかを聞かねばならない。
そのために何をすべきかも。

続いて彼に自信を持たせなければならない。
けなしてばかりでは自信を失う。
自身も経験があるが、自身のない時は何をしても負のスパイラルに陥っていく。
正の連鎖へもっていかねばならない。

まずは褒めること。
そして、どうすればもっとよくなるのか、何がダメだったのかを根気よく伝えること。
彼の気持ちに寄り添うこと。

仕事を任せないというのは愚の骨頂であると思っている。
誰も得せず抜本的な解決にもなっていない。
任せて成功体験を積ませること。
そのためにアドバイスすること。

それを私は提唱したい。
そして同時に思うこと。
では、私は出来ているか?
評価はしてもらっている。
ただ、それがなんだというのだ。
それが私のベストか?否。
もっとやれる、まだまだやれる。
それをやっていないのなら
君もまた彼と同じなのだ。

使えない君はもっとやりなさい。



2014年1月7日火曜日

NHKで

NPOの人たちにハーバード大の教授が、リーダーについて教えていた。

私は、歴史から、カルタゴの名将ハンニバルからこう学んだ。
優れた人間関係とは相互依存であるということ。

私に必要なこと

果敢であること。
果敢とは、思い切って物事を行うさま。決断力の強いさま。

2014年1月5日日曜日

未完成

「最後には勝つ」というキャッチフレーズをたまに見かける。
最後とはいつだろう。
誰に勝つのだろう。
歴史を学んで考えさせられるのは
物事に終わりはないということ。
時間は現代まで脈々とつながっている。
一見無関係に見える現代であっても着実にその土台となっている。

書こうと思っていた内容について自身で矛盾を発見した。
飛躍しているが、徳川家康は最後には勝ったのか?ということ。

勝ちとは何か
負けとは何か。

考えがまとまらない。
今日はここでやめておく。






2014年1月4日土曜日

E+R=O

間違いなく言えることだが、
君の持つものの中で間違いなく君のものであると言えるものは
君自身にしかない。

君の感情
君の行動
君の言葉

これらは間違いなく君のものだ。
君が律することのできるもの、選び取ることのできるものだ。
周囲や世界がどうなろうが、間違いなく君だけのものであることを認識せよ。

君は外界から得たことに対して
感情、行動、言葉を選ぶことができる。
それが反応というものだ。
何がおこった、何をされた、何を言われた、
数多の刺激に対して君はその反応を選択することができることができる。
人にどう思われたいかを考えた上で、だ。

忘れてはならない。
君が彼らを否定しなければ、他者は何者であっても君を否定することはできないと。
君という人格を、存在を否定している訳ではないと。
そして君は物事に対する反応を静かに、精緻に、選ぶことができる。

選ぶことができるのだ。
君の望む自身を相手に見せるための方法を。



2014年1月3日金曜日

どう思われるか

周囲よりどう思われるか
後世よりどう思われるか
歴史は常に必然であるわけではない。
後世が必然である理由を見つけようとするのみ。
その都度その都度の判断の理由があるが
自明の判断であるなら迷う訳も、反対意見も出るはずもない。
迷った末に選んだ方に対して、また迷った末に進む。
そこから得た結論に対して後世は
必然であった、愚かであったと評価するのみ。

君はどう思われたいか。
同時代、周囲よりも後世から。
思われる立場に立たねば思われぬ。

2014年1月1日水曜日

新しい年の始まり

新しい年が始まった。
が、なぜだろう。
笑えない。

イライラしているわけではない。
ただ、自制が効かなくなっている?
何より暗くなっている。

何だろう。
これまでと何が違うのだろうか。

新しい年だから、などと考えるのではなく
昨日からの今日であると考えよう。

正月は新しい年の始まりとのことだが
正直あまり好きではない。
本日の自分もそうだが、どうにもだらけてしまう。
そしてそれを許してしまう、肯定してしまう自分がいる。

正月だから、などと思ってしまう。
正月だろうが何だろうが同じ時間の流れである。
ただのきっかけにすぎない。
それに流されてしまう自分、情けない。