2014年1月29日水曜日

物事について待つとき

この物事のトリガーは何なのか。
時間経過で引かれるものか、
想定される周りの状況で引かれるものか、
期待することが成就したときに引かれるものか、
いずれでもない場合、つまり君に心の準備ができていないと
いうだけで引けない場合。

トリガーは早く引けばよいものではないが、
トリガーを引く為に必要な別のトリガーがあるならば
それを考えよ。
何もないならば、それは君の勇気による。
目的を狙う為に、怖いと、明日でいいと後回しにする君の怠惰である。
今日引くも明日引くも同じはずがない。
その怠惰で君はきっと損をする。

勇気を。
狙い、トリガーを引く勇気を。



2014年1月28日火曜日

未来について

目的のない行動は結果を生まない。そこから得られる結果は偶然でしかない。偶然はあてにはできない。

過去も現在も未来も
変わらぬものは自分が自分の主人であるということ。
私が決めるということ。

反応

反応は選び取るもの。
結果を思い描き、天秤にかけるもの。
君の頭では理解しきれないならば
紙に書いて想像せよ。
その目的は何か、そこから得る、
期待する結果は何かと。
全て君によるもの。
全ては君がなせるもの。

反省

自他に益、自身に目的のないこと
語るなかれ

2014年1月27日月曜日

認めること

認めることだ。
何の為に行っているのか、
自分が何をしたのか、
目的は何かを見据えて。

2014年1月26日日曜日

負けたくないこと

他人には負けたくない。
が、何よりも自分には負けたくないと思う。

他者に対して何か悪いことをした場合、
それも間違いなく落ち度が自分にある場合。
例えば、本日おこったようなことだ。
すぐに謝ることだ。
言い訳などせず。
勇気を出して。
本日の私の落ち度は、車の内装を傷つけたこと。
そして、それを3時間後に告げたこと。
また、多分自分の責任だと、間違いなく自分の責任なくせをして
言い訳をしたこと。

では、君は何の為に謝ったのだ?
相手に悪いと思ったからではないのか?
自分に負けたくないと思ったからではないのか?
ならば認めることだ。
何の為にこのような行為を行っているのか、目的を考えることだ。
下げる必要のない頭なら下げる必要はない。
心から下げる必要などない。
だが、必要があると思ったことなのだから心から、すぐに行うことだ。
案の定「早く言いなさい」と開口一番に伝えられた。
全くその通りだ。
私は自分に対しての勝者になるつもりだったが、結局負けていたのだ。

2014年1月25日土曜日

言葉から

言葉と態度から変えていくこと。
反応を、腹の立った時とかだけではなく、より日常的に選んで行くこと。

これは自身の客観視につながる

2014年1月24日金曜日

笑われても

私には理解できない。
いや、気持ちは痛いほどよくわかる。
私もかつてはそうだったから。
だからこそ理解できない。

仮に笑われてでも、無様でも
その経験が出来るなら
学ぶことが出来るなら
いくらでも転ぶつもりだ。

本番で転ばないために
いくらでも転んで転び方を学ぶつもりだ。

七つの習慣

研修を受けた。
明日は2日目。
本を持ってはいるがちゃんと
研修を受けたのは初めて。

まだまとまりきっていない。
少なくとも私は
主体性と自主性、
パラダイムと価値観を勘違い
していたのかもしれない。

もう少し考えて取り込んでみる。
私にとって有用かどうかの判断も含めて。

信条まとめ

1.他者のなしたことは許すこと
2.寛大な心で迎え容れること
3.人の話を感情移入して聴くこと
4.全ての物事に感謝すること
5.目的をもって言動を行うこと

ドグマ2

ありがとう

全ての物事に、私の周りの私以外の全てのものに感謝すること。
在って当たり前のものなどないとかつて知った。

全ての物事に感謝すること。

かつて感じた

朝目が覚める幸せ
太陽を見ることのできる幸せ

地面を歩くことのできる幸せ
声を発することのできる幸せ
助けを呼ぶことの出来る幸せ
誰かが自分に呼びかけてくれる幸せ

君はかつてそれを感じた。
病気した時に。

いつかまた出来なくなる。
出来なくなるのだ。
だから、大切にせよ。
これらのことに慣れることなく
大切に、大切に

2014年1月23日木曜日

ドグマ

信条を律することだ。
君だけの信条を律することだ。

どのようなものがあるか。
人に迷惑をかけない、とも考えたが
間違いなく私は人に迷惑をかけることもあるだろう。
だから、人が自分に迷惑を掛けた時は
寛大な心で許すこと。
他者のなしたことは許すこと。

寛大な心で迎え入れること。

例えば迷惑だと感じるのは私の心の持ち方がそうだからだ。
人が望むことは何かを考えて言動を行え。

人の話を感情移入して聴くこと。

善き人であること。
自分が善い人であると思うような行動を取ること。言動も然り。

信条を決めていく。


精神の洗濯

精神を洗濯すること。

汚れは
自身を卑下すること
無理だと思うこと
他人を憎むこと
不平不満を言うこと、思うこと
粗野な言葉遣い
いらいらした態度

これらの私からなる私だけの汚れを
自省録とオーケストラの音色で
洗濯する。




2014年1月22日水曜日

にっこりと

疲れた時こそ
落ち込んでる時こそ
いいことがないと思う時こそ

笑いなさい。

疑うな

疑うな。
疑えば負ける。
喧嘩も勝負も人生も。

現実

慣れてはならない。
君は君の中にしか
安住などもたないのだ。

今の自分に

何があるというのか。

何もない。
私という一個のみ。
私以外のものは永続しない。
この一個を使うこと。

2014年1月21日火曜日

身体を使う、頭を通す。

今、自身が何をしているのか。
どのような動きを行い、どのような言葉を作り、発しているのか。
慣れてはいけない。
丁寧に行うこと。
偶然できた、力任せにできた、指を少し左に動かしたからできた、では意味がない。
頭を通して、身体を動かす事。

2014年1月19日日曜日

自分自身へ

学べ!動け!自信をもて!

目の前を

一個一個確実に。

私はなんでもかんでも
目が向いてしまう。

全体をみる能力は大切だが、
瑣末に囚われて大局を軽視してしまう傾向にある。

重要なことはこれだと決めたら
後は全て削ぐことも重要なこと。

2014年1月17日金曜日

怒り

久々に我を忘れそうなほど怒りを覚えそうになった。
大人気なかった。
気をつけねばならない。

心無い言葉とはこうも突き刺さる。
当人にはそれとない言葉であっても、人の大切にしているものを理解しようとしてすらくれない態度が
明らかに表れるとこうなる。
そうならないようにも気をつけよう。

2014年1月16日木曜日

失策

視野が狭い。
まず影響範囲を考慮しておくべきだった。
そして、思考を重ね、そこからまた再度影響範囲を考慮しなおすべきだ。
想定よりも影響範囲が広かった。
まさかこのようなことで出てくるとは…などとは言えない。
私の思考が足りなかっただけだ。
私は止めることのできる立場にいた。
しかし、その影響範囲を、視野を狭く見積もっていたために
結果的に意味のない、恥ずかしい行動となった。
今日という失敗を忘れるな。


2014年1月15日水曜日

ヘイトツイートを見て

他者を下げて、自身をあげるようでは今後の成長は期待できない。
君よ。
他者にむしろ譲ってやれ。
譲れるほどに功績を積むように。
成長するように。

何度でも言うが

上の立場の人間とは突き動かすものだ。
遠慮をするな。
任せるな。
指示を仰ぐなどもってのほか。
君の意図した通りに動いて頂け。

2014年1月14日火曜日

今日と明日

例えば今日という日が素晴らしい日だったとする。
では、明日も今日と同じような日が続けばいいと思うだろうか。

思う人もいるだろう。
だが、私は思わない。
例えどんなに素晴らしい日であっても
同じような日は続いてほしくない。
よかれ悪しかれ違う日となってほしい。
そうでなければ人生がつまらないではないか。

明日も今日と同じように過ごすのだ。
そんなのは嫌だ。
例えそれが素晴らしい日であっても。

よって、君は動くべきだ。
今日という日を昨日とは違う日にするために。

無題

目的が見出せないことなら、やらなくていい。

2014年をどうするか

2014年をどうするか。
どのような目的の元に資源を使うか。

2014年1月12日日曜日

何も

何の失敗もなかった日、
何も学ばなかった日、
何に対しても心を動かされなかった日、
何をしたか思い出せない日、
日記に何も書くことのなかった一日は
時間を浪費しただけの日となる。

そこに在りながら、無かったようなもの。
食べて、寝ただけのようなもの。
生きながらにして死んでいるようなもの。

そんな日は努めて避けねばならないのではなく、
あってはならない。
贈り物をされて、礼も言わないようなものだ。

今日という一日はもうないというが
確かにない。
例えば、2014年1月12日。
どうぞ、歴史の彼方から同じ数字を持つ日をさがしてくるがいい。
どこにもないはずだ。
2014年1月12日、2013年1月12日、2012年1月12日...。
一年前は何してた、二年前はと年単位で物事を考えることがあるが
同じ日など何もないのだ。
今日、この日、今のこの時間が膨大な歴史、地球誕生以来の時の流れの中で唯一である。

手のひらから零れ落ちる水を口に運ぼうとするように。
二度とないもの、二度とえられない時間を
賢明に生きねばならない。
君が寝ている間も、食べている間も、二度とないのだから。

2014年1月11日土曜日

一日一日

一日一日に真摯に取り組むこと。
今日という日は二度とない。

今日は何をするために生きたか。
何を目的として生きたか。
何を目指して生きているのか。

2014年1月10日金曜日

桑田氏と金田氏の対談

News ポストセブンの以下の記事。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140110-00000011-pseven-spo

この対談はいろいろと参考となった。
雑誌記事等はほとんど読まないのだが、たまたま見かけたこの記事をみて
対談というのはいろいろと参考になるものだとも感じた。
また、それに対するFacebookコメントも非常に参考になった。
メモとして置いておきたい。

まず、ツーシームに関して
金田氏が知らないことに対して、ライターが驚く。
──えっ、ご存じないんですか?
おそらく知っていて当然と思っていたために余計に驚いたのだろう。
とはいえ、この反応に関してライターが駄目というつもりもない。
誰しも自分の想像と違っていたら驚くものだと思うから。
そのワンクッションがあったからかもしれないが、
桑田氏は説明口調ではなく、静かに事実を伝えている。

一般的なストレートから、握りの向きを変えて、縫い目に人差し指と中指を沿わせて握るボールです。少しムービングするので、最近、多用されていますね。
ここで学ぶべきことは、相手が知らないということを受け止めることだろう。
そもそも知っていて当然などということはおこがましい話だ。
誰しも知らないことはある。だから人は学ぶし、知ろうとする。
相手が知らない場合は、それを受け止めた上で伝える。
否定はしない。驚きもしない。肯定した上で、伝える。
ここの対応を間違えると不快に思う人も多いと思う。
私自身もそう感じたはずだ。
気をつけねばならない。

D・カーネギーの本に確かあった言葉だが
相手が知らないと言ったことは、忘れているのだといって伝えてやる。
というのがあったはずだ。まさにそれだろう。

続いて、桑田氏が金田氏を尊敬して、褒めている点、
金田さんのような超一流のカーブは、
と尊敬を言葉にしている。
それを受けて気持ちよくなったのだろう。
金田氏も自身の球を
もはや芸術の域だよ。
と自画自賛している。それに対して、桑田氏の
すごいなァ。スローカーブはなかなかコントロールができない最も難しい球ですよ。
と褒め言葉をかぶせる。実際すごかったのだろう。
桑田氏の本心であるにしても、金田氏も気持ちよく話せたに違いない。

誰が優れているという訳でもなく、
誰が劣っているという訳でもない。
ありのままに認め、相手を尊敬すること。
相手を下げること、けなすこと、否定することで自分が上位に立たないこと。
言質の正誤よりも対応によって人の上位は決まる。

リンカンの言葉より

どうでもいいことは譲るべきだ。
恐らく相手が間違っている内容でも
譲るべきだ。
しかし、抗議すべき時に抗議しなければ人は臆病者になってしまう。
そのバランスを君はとらねばならない。

2014年1月9日木曜日

君主たるもの

他者に左右されるような状態からは、できる限り自由であらねばならない。

もちろん私は君主ではないが
一人の人間としてそうでありたい。

2014年1月8日水曜日

リンカンの言葉

I don't like that man. I must get to know him better.

「私はあの人を好きではない。ということは、私はあの人をもっと知るようにしなければならないということだ。」

この言葉に従おう

仕事が出来ない同僚

仕事が出来ない同僚に対して
仕事を任せないようにする案が
出ている。

仕事の出来る出来ないは
意識の違いだと思っている。
そして、周りの環境、経験の違い。
経験とは仕事経験ではない。
意識を変える経験をしたかどうかという事。

まず、彼が何を目指しているのかを確認するべきである。
特にないのであれば何のためにここにいるのかを聞かねばならない。
そのために何をすべきかも。

続いて彼に自信を持たせなければならない。
けなしてばかりでは自信を失う。
自身も経験があるが、自身のない時は何をしても負のスパイラルに陥っていく。
正の連鎖へもっていかねばならない。

まずは褒めること。
そして、どうすればもっとよくなるのか、何がダメだったのかを根気よく伝えること。
彼の気持ちに寄り添うこと。

仕事を任せないというのは愚の骨頂であると思っている。
誰も得せず抜本的な解決にもなっていない。
任せて成功体験を積ませること。
そのためにアドバイスすること。

それを私は提唱したい。
そして同時に思うこと。
では、私は出来ているか?
評価はしてもらっている。
ただ、それがなんだというのだ。
それが私のベストか?否。
もっとやれる、まだまだやれる。
それをやっていないのなら
君もまた彼と同じなのだ。

使えない君はもっとやりなさい。



2014年1月7日火曜日

NHKで

NPOの人たちにハーバード大の教授が、リーダーについて教えていた。

私は、歴史から、カルタゴの名将ハンニバルからこう学んだ。
優れた人間関係とは相互依存であるということ。

私に必要なこと

果敢であること。
果敢とは、思い切って物事を行うさま。決断力の強いさま。

2014年1月5日日曜日

未完成

「最後には勝つ」というキャッチフレーズをたまに見かける。
最後とはいつだろう。
誰に勝つのだろう。
歴史を学んで考えさせられるのは
物事に終わりはないということ。
時間は現代まで脈々とつながっている。
一見無関係に見える現代であっても着実にその土台となっている。

書こうと思っていた内容について自身で矛盾を発見した。
飛躍しているが、徳川家康は最後には勝ったのか?ということ。

勝ちとは何か
負けとは何か。

考えがまとまらない。
今日はここでやめておく。






2014年1月4日土曜日

E+R=O

間違いなく言えることだが、
君の持つものの中で間違いなく君のものであると言えるものは
君自身にしかない。

君の感情
君の行動
君の言葉

これらは間違いなく君のものだ。
君が律することのできるもの、選び取ることのできるものだ。
周囲や世界がどうなろうが、間違いなく君だけのものであることを認識せよ。

君は外界から得たことに対して
感情、行動、言葉を選ぶことができる。
それが反応というものだ。
何がおこった、何をされた、何を言われた、
数多の刺激に対して君はその反応を選択することができることができる。
人にどう思われたいかを考えた上で、だ。

忘れてはならない。
君が彼らを否定しなければ、他者は何者であっても君を否定することはできないと。
君という人格を、存在を否定している訳ではないと。
そして君は物事に対する反応を静かに、精緻に、選ぶことができる。

選ぶことができるのだ。
君の望む自身を相手に見せるための方法を。



2014年1月3日金曜日

どう思われるか

周囲よりどう思われるか
後世よりどう思われるか
歴史は常に必然であるわけではない。
後世が必然である理由を見つけようとするのみ。
その都度その都度の判断の理由があるが
自明の判断であるなら迷う訳も、反対意見も出るはずもない。
迷った末に選んだ方に対して、また迷った末に進む。
そこから得た結論に対して後世は
必然であった、愚かであったと評価するのみ。

君はどう思われたいか。
同時代、周囲よりも後世から。
思われる立場に立たねば思われぬ。

2014年1月1日水曜日

新しい年の始まり

新しい年が始まった。
が、なぜだろう。
笑えない。

イライラしているわけではない。
ただ、自制が効かなくなっている?
何より暗くなっている。

何だろう。
これまでと何が違うのだろうか。

新しい年だから、などと考えるのではなく
昨日からの今日であると考えよう。

正月は新しい年の始まりとのことだが
正直あまり好きではない。
本日の自分もそうだが、どうにもだらけてしまう。
そしてそれを許してしまう、肯定してしまう自分がいる。

正月だから、などと思ってしまう。
正月だろうが何だろうが同じ時間の流れである。
ただのきっかけにすぎない。
それに流されてしまう自分、情けない。