2012年12月6日木曜日

慎み深さと、意見を明らかにしないことは同義ではない

5日に公示された選挙戦も白熱しつつあります。
私の住む田舎の地域でも選挙カーから流れる音を聞くだけで
そう感じる為、都心部ではいっそうそうなのでしょう。

ブログや新聞、ネットなどのメディアを見ていると
入れたい政党がないということを感じられる人々も多いのかもしれません。

たとえば原発ひとつとっても、残す残さない、脱原発、卒原発。
それが言葉を変えただけとしか思えないような、
違いが明確にはわかりにくいということも不安点ではありますが、
まぁ色々な主張があるのは喜ばしい限り。

E=mc^2という特殊相対性理論によって表された希望、および恐怖
2011年までの世界は原発という点に限って言えば
希望に生き、2011年からは恐怖に変わっているといえるのではないかなと
個人的には思っています。

2012年11月15日木曜日

首相、異例の解散日明言

まず、私個人として野田首相に対しては一定の評価はしています。
前任者2人(特に前々任)が酷すぎたというのもあるかもしれませんが
停滞していた政治を進めはじめたという点からです。

このタイミングで解散日明言に関して私は評価します。
確かに最近の国会を見ていてもいつ解散するんだ?ばかりで
全く議論が進んでいなかったので(議論してるの?という疑念はありますが)。
この報を私が最初に思い浮かべたのは以下の言葉でした。
それは日露戦争の名参謀として、司馬遼太郎著の「坂の上の雲」で有名な
秋山真之氏の天剣漫録という所管を示した書き込みの中にあります。

敗くるも目的を達することあり。
 勝つも目的を達せざることあり。
 真正の勝利は目的の達不達に存す。

負けても目的を達することもある。
勝っても目的を達せないこともある。
本当の勝利は目的を達せたか達せなかったかによるという意味です。

野田首相の目的は
赤字国債法、議員定数0増5減、社会保障制度改革を達成することだったのだろうと。
恐らく民主党は政権与党にはなれないでしょうが、
負けても次代へ残すことは出来ると。
民主党が政権与党となってから3年。
ようやっと政治が未来に向けて歩みはじめたと言えるのではないでしょうか。

3年前は寄せ集め集団でしかない民主党。
今回の解散日明言で離党する政治家も多いでしょう。
しかしながらそれで膿を出してほしい。
膿を出した上で、純粋な政党として再度政権与党を目指してほしい。
そう思っています。

2012年11月14日水曜日

11月13日天声人語

なるほど、そう見るのかと参考になった。
2日連続政治の話題で恐縮…というより珍しいのだが目を引いたのがこれなので記載しておく。

昨日、民主党は謙虚さや丁寧さを無くしていると記載した。
しかしながら、天声人語では自民党の赤字国債法案に対する協力を北風と太陽の話で例えている。
攻撃するのではなく、協力することで解散という環境を整えていると。

また、今の政治を戦前の民政党と政友会の争いになぞらえた記載もしている。結果的に民心は政党から離れ軍部が力をもつようになったと。
歴史に対しては無知であったので、二大政党の名前を知っていた程度であったが同様のことがあったとは。
私は二大政党が拮抗して欲しいと昨日書いたが、それは確かに民心を疲弊させてしまうのかもしれない。
そうならないで欲しいところである。

比喩やなぞらえ、自身の知らない知識が面白いなと思ったので記載してみた。

2012年11月13日火曜日

自民党は与党ぶるな

ふと新聞の雑誌広告か何かで目にしたフレーズ。
全くその通りだと思う。

最近の自民党政治家のコメントからは
既に与党であるかのような発言が目立つように思える。
そもそも私は民主党政権になることは嫌だった。理想ばかり語って現実がないと思っていたからだ。
だが、そんな私でも最近の自民党はどうだと思う。
二言目には解散。
解散すれば、自分たちが与党第一頭となる自覚もあるためだろう。
約束だ、嘘つきだと文句だけ言って、政治を先に進めない。
4年前も同様のやり取りをみた気がする。立ち位置は真逆だったが。

確かに時流は自民党に向いているはずだ。だが、方丈記の木登り名人の説話にもあるが、地面が近い時こそ慎重にいくべきだ。こういう時こそ丁寧に謙虚にいくべきだと思う。
でないと、また木から落ちてしまうよと。

個人的には、敗北を知った自民党、現実を知った民主党に二大政党として争ってほしいなと思っている。
与党が毎回出来レースなのではなくて、どちらも拮抗してほしいなと。
とはいえ、長いものに巻かれたがる日本人からすればそれは理想論なのだろうなぁと…。

立場は違えどひとつの目的に向かって計画的な政治をしてほしいですね。





2012年3月31日土曜日

2012年2月29日水曜日

2012年2月読書実績

読了した本

市場最高のセミナー(Audio Book,書籍共に),
武器としての決断思考,
バビロンの大富豪(Audio Book),
フランクリン自伝,
人を助けるすんごい仕組み,
坂の上の雲2,


感想を書く予定の本(近日更新)

武器としての決断思考,
フランクリン自伝,
人を助けるすんごい仕組み,

2012年2月1日水曜日

心を上手に透視する方法


◎書籍情報
心を上手に透視する方法
トルステン・ハーフェナー著 福原美穂子訳
サンマーク出版(2011-08-30)
ISBN978-4-7631-3154-6

◎思ったこと
まず、私はこの本を書店でたまたま見かけて、
買う予定もなかったのに即購入したのだが
別段人の心を透視したいと思っているわけではない。
この本の原題はわからないが、題だけ読んでハウツー本だと思い
購入した人なら「だまされた」「つまらなかった」「あたりまえのこと」と
感じることもあるだろう。
実際、ツイッターやブクログを見ていても主観で感じたことではあるが
そう思われている方も多いようだ。

とはいえ、ちゃんと目次を見れば論点は
内(自分自身)→外(相手のこと)→内(自分自身)
となっていることはわかる。
つまり、本書の言いたいことは相手の心を透視する方法論などではない。
それはあくまで心と身体の密接な関係を読者に納得させるための例にすぎないのであって
実際は周りに注意を凝らし、心の制約を解き放つことで可能性は広がるという
視点の変え方、気の持ち方を解説している本であると想像できる。
少なくとも私はそっちを期待した。

著者のトルステン・ハーフェナーという人は日本では知名度は高くない。
というよりも無名だ。
検索してみても本書の著者であるということ以外の情報はない。
何よりドイツの人であり、私にいたってはドイツ語は(も)わからないので
Youtubeで調べて、実際のショーを見てみようとも思わなかった。
そういう人がいるらしい、という本書から得た認識だけだ。
恐らく、日本だけでなく他の国でもそうなのではと思う。

だが、結果的に本書は本国ドイツでは35万部(これはともかくとしても)、
世界10カ国で翻訳され日本でも10万部を超えているらしい。
つまり内容は悪くないのだろうし、それだけ人々の潜在的な興味を引くタイトルなのだろう。

2012年1月21日土曜日

ソクラテスの弁明

◎書籍情報
ソクラテスの弁明/クリトン
プラトン著 久保勉訳
岩波新書(1927-07-03)
ISBN4-00-336011-7

◎思ったこと
"私は持っているテクノロジーを全て引き替えにしても、
ソクラテスとの午後のひとときを選ぶね。"
Steve Jobsの言葉の一つである。
彼にここまで言わせる男、ソクラテスとは何者か。

もちろん歴史の教科書に載っている一般的な知識でなら知っている。
プラトンの著したソクラテスの弁明についてもタイトルと概要は知っていた。
私が読んできた本でもたまに出てくる名前である。
特に訳書に多いようだ。
以前、ここで書いた 「つながる読書術」にて
著者が影響を受けた本として書いてあったことから
興味が出てきて読んだという所から始まる。

読後、いや、途中から私はこう考えていた。
ソクラテスに勝つにはどうすべきか。どう話を進めればこの男に勝てるか。
多分、この理屈っぽい老人はああいえばこういうのだろう(笑)
無論、貧相な頭では到底答えは出ていない。
ただ、彼に会話の主導権を握らせないこと、
彼の問いに乗せられてはいけないということだけはわかる。
私としてはどう彼に勝つかを考えていた際に
「後の先」という言葉を連想していた。
二人の剣豪(A,B)が立っているところを想像してもらいたい。
ソクラテスはまず、相手に問いかける。
これは何気ない問いだ。
剣豪の例で例えれば、殺気を帯びない開始の一太刀だと思ってほしい。
それに対して、相手Bは仕合を終わらせようと殺気をまとわせた一撃を振るう。
この過剰に力の入った一撃を待っていた。
それをAは見切り、精神的にも肉体的にもバランスを崩したBに斬りつける。
Bは何とか受ける。
この後も剣戟は続くであろうが既に精神的優位はAの元にある。
(ちなみに私は武道の経験がないため正確な後の先とは意味が違うかもしれないが)

2012年1月19日木曜日

未完ラベル作成

今後、未完成の状態、メモ書き程度の状態であっても
投稿するための「未完」というラベルを作った。
拙い思考、文章の過程だが、日々更新していくことを目標としたい。

などと言いつつ、投稿として個人的に完成状態であっても
拙い文章、すぐ影響をうけるB型水瓶座であることから
「未完」カテゴリに入れたり、再投稿する場合も多々あると思う。
こちらも宜しくお付き合いください。


知的生産の技術と思考の整理学

◎書籍情報
知的生産の技術
梅棹忠夫著
岩波新書(1969-7-21)
ISBN 不明

思考の整理学
外山滋比古著
ちくま文庫(1986-4-24)
ISBN 4-480-02047-0

◎思ったこと
知的生産の技術に関して、最も心に残ったことは
京大式カードとボールペンの使用、この2点である。
筆者が恐らく本書の中で提言したかった部分のほとんどは京大式カードだと思われる。
実際、本書は様々な知的生産の技術に触れてはいるがその根底に流れているのは
京大式カードの思考であると見えるからである。
実は私は受験生時代に和田秀樹著「受験は要領」を読み、実際に使っていた。
当時買った大量のカード(500枚綴り?)は今も残っている(笑)
この前、過去の荷物を整理した時に発見し、今回、
その提唱元である知的生産の技術を読むに至った。
偶然とは面白いものである。
今でこそ私は備忘録にTwitterを使用したり、Evernoteを使用する等
デジタルデータ主流になっているが、十分に応用できるものであると感じた。
これに関しては再読した際にもっと突き詰めて考えてみようと思っている。

余談だが斉藤隆氏の「三色ボールペン勉強法」は
知的生産の技術にある方法論を結合、発展させたものであり、
恐らく年代からしても斉藤隆氏はこの本を
三色ボールペン勉強法を始めた高校時代に直接読むなり
間接的に聞くなりして影響を受けたのではないかと考えている。
全く別のところで読んだ「三色ボールペン勉強法」が意外なところで繋がっていて
多分高校時代に読んだんだろうなと考えるのは面白い。

さて、続いて「思考の整理学」である。
目次やタイトルを見たところ、一見して「知的生産の技術」の影響を受けていると思い
今回、まとめて著すことにしたが実際は色々と異なっていた部分も多かった。
例えば、「知的生産の技術」では「忘れないために」カードを作る。
つまり、忘れることは悪である。
しかし、「思考の整理学」では"見つめる鍋は煮えない"と言う。
寝かせること。つまり、忘れることを勧めているのである。
このスタンスの相違は面白い。
内容としては立場によっては逆と思える部分もあれば、
多少(あくまで多少)発展させている部分はある。
しかし、17年という歳月にしては変わっていないに等しい。
どちらも個人と個人の考え方の観点の違いであるからである。
とはいえ、どちらも古さは否めないものの古典的著作であり、
その根底は現在にも通じることである。

これらはいわゆるハウツー本ではない。
これを読んでその通りにしているのでは能がない。
あくまで個人の考え方だ。自分で考えて、自分なりのアレンジを加えること。
それを行うことで初めて本書が活きてくる類のものである。

プロフェッショナルの条件


◎書籍情報
はじめて読むドラッカー【自己実現編】プロフェッショナルの条件
P.F.ドラッカー著 上田淳生訳
ダイヤモンド社(2000-6-29)
ISBN4-478-30059-3