2012年1月21日土曜日

ソクラテスの弁明

◎書籍情報
ソクラテスの弁明/クリトン
プラトン著 久保勉訳
岩波新書(1927-07-03)
ISBN4-00-336011-7

◎思ったこと
"私は持っているテクノロジーを全て引き替えにしても、
ソクラテスとの午後のひとときを選ぶね。"
Steve Jobsの言葉の一つである。
彼にここまで言わせる男、ソクラテスとは何者か。

もちろん歴史の教科書に載っている一般的な知識でなら知っている。
プラトンの著したソクラテスの弁明についてもタイトルと概要は知っていた。
私が読んできた本でもたまに出てくる名前である。
特に訳書に多いようだ。
以前、ここで書いた 「つながる読書術」にて
著者が影響を受けた本として書いてあったことから
興味が出てきて読んだという所から始まる。

読後、いや、途中から私はこう考えていた。
ソクラテスに勝つにはどうすべきか。どう話を進めればこの男に勝てるか。
多分、この理屈っぽい老人はああいえばこういうのだろう(笑)
無論、貧相な頭では到底答えは出ていない。
ただ、彼に会話の主導権を握らせないこと、
彼の問いに乗せられてはいけないということだけはわかる。
私としてはどう彼に勝つかを考えていた際に
「後の先」という言葉を連想していた。
二人の剣豪(A,B)が立っているところを想像してもらいたい。
ソクラテスはまず、相手に問いかける。
これは何気ない問いだ。
剣豪の例で例えれば、殺気を帯びない開始の一太刀だと思ってほしい。
それに対して、相手Bは仕合を終わらせようと殺気をまとわせた一撃を振るう。
この過剰に力の入った一撃を待っていた。
それをAは見切り、精神的にも肉体的にもバランスを崩したBに斬りつける。
Bは何とか受ける。
この後も剣戟は続くであろうが既に精神的優位はAの元にある。
(ちなみに私は武道の経験がないため正確な後の先とは意味が違うかもしれないが)


そもそも、Bは短期決戦で終わらせようとしている。
Aは最初から長期戦で考えている。
一概には言えないが、しびれを切らして自分のペースを崩した方の負けではないだろうか。
告発人たちにしてもそうだ。
クリトンにしてもそうだ。
ソクラテスは恐らくとても気の長い人だったのではないかと考える。
隙が見えるまで延々と質問を繰り返すような人だったのではないだろうか。
そして隙が見えたらすぐに斬りつける訳ではなく、
あくまで自分のペースでちょっとずつ相手に齟齬を与えていく。
弱ったところで、、、最後まで自分のペースでとどめを刺す。
貧相な頭では未だこのくらいしか考えつかない。
今後も考えてみようと思う。
とはいえ、自分の死刑が決まろうとする裁判で、話せる時間は限られている状態。
そのような状況下で、そのような論証が出来るという時点ですでにとんでもない人なのだが…。

知らなかったのだが、これほどの知名度を誇るソクラテスという人は
自身の著作を残していない。
ソクラテスと言う男はプラトンの著作によって有名になった。
思うにプラトンという人物の著作が素晴らしかったからこそ彼は神格化できた。
プラトンがここまで素晴らしいのだ、ならば彼の崇めるソクラテスという人物は
もっと素晴らしいに違いないという気を起こさせた。
後期のプラトンは自分の論拠を証明するために
ソクラテスを利用していたと見える節もあるそうだ。
プラトンにとって知の体現者でもあり、象徴だったはずだ。
あのソクラテスならこういうだろうから、私の説は正しいという使い方である。
故にソクラテスは万人にとって知の体現者となった。
彼は無知の知、自分は何も知らないと認識することに対する偶像であると考える。
自分は何も知らぬ。
これはつまり自身への戒めに通じる。
上には上がいるということを思い出させるのにこれほど都合のいい人物もおるまい。

故に思う。
ソクラテスとの午後のひととき、それは現状に満足しないための、
初心に返るためのきっかけと言えるのではないだろうかと。
そのためにSteve Jobsはソクラテスとの午後のひとときに価値を
見いだしていたのではないのだろうかと。
それこそが彼があれほどのイノベーションを次々と生み出せた
モチベーションだったのではとすら思う。
そう考えたとき、私も望む。
ソクラテスとの午後のひとときを過ごしてみたいと。
ただ、一応、まだ彼のすごさを理解していない愚かな身の程知らずな自身として
彼に勝ちたいために、なのだが(笑)

さて、彼に勝つにはどうすればよいのだろうなぁ…。

最後に書き忘れていたことがある。
学のない私には文章中の漢字や語彙が難しく、最初は読んでいて
自分のあまりの学の無さに落ち込んだ。
このままではダメだと思った。
だが、例えそうだったとしても、この本は何度も読む価値がある。
芸術的にも完璧に近い筆致をもって、、と岩波文庫は表紙で伝えているが
全くその通りである。
色あせない名作であり、歴史に残る古典である。


最後ついでの余談だが、訳者久保勉氏による序文に
ケーベル先生という言葉が出てきた。
確か夏目漱石の著作でタイトルを見た記憶がある。
調べてみるとこの訳者や夏目漱石、岩波文庫の創刊者岩波氏に影響を与えた
人がケーベル先生らしい。
詳細は省くが、そうした繋がりが見えることも読書の面白さでもある。


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