2014年2月23日日曜日

約1週間

ほとんど更新できていない。
なぜか?
私がたるんでいるのもある。
だが、もっと別の要因をふと考えた。
言い訳だと自分でも思えるが必要なことだと思いたい。

要因はこの一週間
人とほとんど接していないこと。
夜勤が続いたため、文字通り家族と
前の担当、後の担当という2名のみである。
それも朝と夜の静寂の中での会話のみ。
私はそこから何の刺激も学びも得られていないのではないか。
とりたてて書けることもなかったのではないかと。

何かを学ぶとき、
そこにかかわってくるのはやはり人ではないか。
人は自身の鏡というが、ふとそれを感じた。
人と、出来事、つまり刺激から学びうる。

ずっと刺激を受け続けた場合。
振り返ることができない。
顧みることができない
これは自身にとって良くないことが容易に想像できる。
では、静寂、自身の中のみの場合はどうか。
普通の人ならばそこからでも学びうるのだろう。
だが、私はその域に達していない。
何も学ばず、無駄に日を過ごす。
文字通り無駄に。無益に。

上述したようにこれは言い訳である。
人、出来事を超えて、公共のニュースからでも
学ぶものは学ぶ。
自然からでも学ぶ。
だが、私はそこまで意識が回っていないということだ。
意識があるならば、人と出会わなくても本から刺激されて学ぶはずだ。
だが、本すらあまり読んでいない。
自身にとってまったく良くない。

本日で生まれてから12437日が経過した。
一週間前は12430日だ。
その間、君は何もできなかった。
何も学ばなかった。

浪費した。




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