2013年11月1日金曜日

取り組むべきは自分自身であるということ

人格を高めるための意識は行ってきたつもりだが、
何度も同じ事を繰り返しては後悔する。
前も思ったはずなのに、書き連ねたはずなのにと何度思い返せばよいのか。
尊敬するリンカンの以下の言葉を言えるようになりたいのだが
なかなかそうもいかない。
"All my life I have tried to pluck a thistle and plant a flower 
wherever the flower would grow in thought and mind."
ペンデュラムを前の彼女から教えてもらった。
これは不思議なもので「時計回りに小さく」「左回りに大きく」等と念じていると
実際にその通りに動き出す。
この単純な石の動きが自分にリラックス、集中を与えてくれるような気がして
前々から再度取り出そうと思っていたが、今回ようやっと取り出してきた。

「時計回りに」と念じてみたところ、久々なためか念じたとおりに回らない。
それもそのはずチェーンのねじれからくるものなのかもともと左回りに回っていた。
だが、ここで思ったことは視覚的に(現実的に)左回りに回っていると
それを見ながらなかなか右に回るイメージが浮かばないのだ。
目をつぶったらどうだろうとおもって目をつぶってやってみると
案外うまくイメージは、できる。
が、ちらっと眼をあけて石の状態を見てみると、
目で石を捉えている状態と異なって集中が足りないからか石は左への回転が
小さくなる程度で右には回ってくれない。
目を開けていれば、イメージはどうしても左にいってしまい、石は大きく左に回り始める。

さて、どうしたものかと思ったが、いったん石を手で止めてみた。
そして、「時計回りに、大きく」と念じていると今度は目を開けたままでもイメージができ、
次第に石は回り始めた。

私の貧弱なイメージ力のこともあるかもしれないが
少なくとも私に関してはどうやら今ある状態に流されてしまうらしい。
意識しても、意識しても、どうやら今ある状態、自分の望まない状態を願ってしまうようだ。
ならば、石をいったん止めるしかあるまい。
そして、口に出して強制的に念じ、イメージを作り出していくしかあるまい。
これは私の人格に関しても同じことが言えるのではないだろうか。

つまり、人格を変えるためにはまず悪癖を自覚すること。
そして、口に出していくこと、言葉にすることではないだろうか。
言葉、態度によって自分の望む方向へ人格を変えていく。
まず言葉を変えることだ。
それをやらねばならない。

ペンデュラムをしていると頭の中がクリアになる気がする。
雲が晴れていくかのように。
頭の中に覆いかぶさる雲をペンデュラムで自由に消しているような感覚なのだ。
これは今後も続けていこう。

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