尊敬するリンカン大統領の第二期就任演説の中の一句である。
A.Lincolnに関するD・グッドウィン氏の著書「Team of rivals」には度々彼の人柄について「思いやりのある」という表現が見られる。
今なお愛され、歴史に名を遺した人。
歴史上の人物でこの人と話したいという方はたくさんいるが、選べと言われたら私はリンカン大統領を選ぶ。
(次はソクラテス)
思いやり。
小さな頃からよく聞く言葉。
しかし、それが何かこれまでよく考えていなかった。
思いやりとは何か。
まず思いつくことは
人に対するいたわり。
人に対する温かさ。
つまり、何か。
人の話に耳を傾けること、
人の境遇に共感できること。
自分が見て、思いやりのある人だと感じるのはどんな人だろうか。
今のところそのようなことを感じた覚えがなく我ながら白状だと思う。
これまでたくさん思いやりを受けてきたはずだ。
認識できるところ認識してないところで。
人に支えられて生きているという実感はある。
むしろ支えられてばかりなのにぱっと思い出せない。
当然のことであるはずがないのに、それをありふれたことと一過性の感謝で終われるような環境にいさせてもらえているからかもしれない。
ひとつ思い立った。
やはり両親、特に母だろう。
私は小学生の時に引きつけを起こした。
それ以来20歳になるまで定期的に遠くの病院に通っていた。
母はその度に送ってくれた。
一日を潰してくれた。
そして…
大好きだったコーヒーをその時から絶った。
結局、その時以来引きつけは起こさず、通院を終えて13年。
引きつけを起こした時から21年が経つ。
今もコーヒーを飲んでいない。
リンカンはこういう言葉を残している。
“I remember my mother's prayers and they have always followed me. They have clung to me all my life.”
私は母の祈りとそれがいつも私を守ってくれていることを覚えている。それは私の人生を通じて、付いて離れたことはない。
"All that I am, or hope to be, I owe to my angel mother."
今の私、なりたいと思う希望全て、母からの守りをもらっている。
うまく訳せないが、母への感謝の言葉だ。リンカンは実母を幼い時に亡くした。継母との関係も良好で、継母からも愛情をかなり与えられたらしい。
彼の言う母とはどちら、もしくは双方なのだろう。私には幸いなことに両親共に健在である。今もお世話になっている、なり続けている。
彼らが私にしてくれてること、その視線を他人に向けてあげれば…。
難しいとは思うが少しでもそうなれるように。
今日のことは風邪で早退した同僚からの電話をとった際の出来事が発端だった。
切羽詰まった声で「電話もらったみたいですが」とかかってきたが、私は部署とは別の部屋にいたこたもあって「かかってきた番号とかわからない?」と返した。
すると、確認して折り返すということで終話したが、もっと思いやりをもって聞いてるよと言ってあげればよかった。一言労わればよかった。
同僚が気の利かない人と思ったかどうかはわからない。
しかし、私にとっては少しだけ反省を残した。思いやりのある対応とは何か、そこから考えたことである。
思いやりのある人になりたい。
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