2013年11月5日火曜日

私は世界の中の一人にすぎない…が

何度か考えたことがある。
自分は後何回ご飯を食べられるのだろうかと。
一日三食、一度は「今日はこれを食べた。美味しかった!」といえる食事をしたいと願う。
そんな食事を後何回出来るのだろうか?

私が今、33歳。
何才まで生きられるかはわからないが、自分の中では56歳をひとつの区切りと考えている。
そこからは次のよりよい人生を歩んでいきたいと考えているので。
となると、単純に計算して
365日×22年=8395回
満足のいく食事をできたとしてもそのくらいなのだ。
もちろん朝昼晩全てに満足のいく食事というのは幸せなことかもしれないが、元来太りやすい我が身。
健康を害しそうなため、一日一食は満足のいくものをという計算にする。
残り8300回。
病気もするだろうからベストコンディションで食べられる回数となるともっと低くなるだろう。
そう考えると一回の食事もあまり無駄にしたくはなくなる。

で、今日、某大手ファーストフードチェーンで
遅すぎる昼ごはんとして16時前に
150円のハンバーガーとコーヒーを頼んだ。
合計250円だがお腹も減っていたし、何より久々にきた店でもあって何だか嬉しかった。

注文後、しばらく待った後、呼ばれたから取りにいくと
店員が私の前にハンバーガーとコーヒーの入ったトレーを置き、スッと踵を返して奥へ行く。
んっ?私が思った所で、隣の店員が気付いて、さっと私の目の前にきてトレーを差し出し直した。
顔を見るにあちらも少し同僚店員に対して動揺したのだろう。
一瞬、このままトレーを出していいものかダメなものかを悩んでいるように見えた。
そうこうしてると先ほど踵を返すように奥に行った店員が戻ってきて
その様子を見て「しまった」と思ったのだと思う。
少しきまり悪そうな顔で、バーガーを掴み、ナプキンを下に敷いた後で置き直した。

掴み、そう、文字通りむんずと掴みという感じである。
こちらとしては、最初に「んっ?」と思った後は
ああ、客のいない時間帯とはいえ隣の連携素早いなとか、
あ、気まり悪そうな顔してるとか
ああ、バーガーをむんずと掴んだ(笑)
といった感じでどっちかといえば面白がる感じで店員を見ていた。

で、トレーを運びながら考えたことが
あの店員さんも多分今日一日だけでもかなりの数の接客を行い、
ハンバーガーを用意してきたのだろうと。
彼女にとってこのハンバーガーは一日の数多の中の一個だが、
私にとってはこれはその日の糧なんだよなぁと。

別に店員さんについてどうこうというつもりはなく、
私も同じことをしてないだろうかということ。
そして、食事を提供する店というのは少なからずそういう趣を持つのではと思い
大変だなぁと。
どういうことかというと、忙しさや数にかまけて、
その人にとっては大切なことなのにおざなりにしていないだろうかということ。

コリン・パウエル氏の著書にこういう言葉がある。

"世界にとってあなたは一人の人に過ぎないかもしれないが、
一人の人にとってあなたは世界になりうる"

今日、父の携帯を俗にいうガラケーから
スマートフォンに変えた。
家族は全員iPhoneであり、父が唯一のAndroidユーザとなった。
で、私は一応今はシステム業界に携わっているため、なんだかんだと質問される。
しかしながらAndroidはわからない。
手あたり次第一からさわり、調べることになる。
で、ネットゲームをしているときも父から再三呼ばれ、自分でもわからないことを聞かれる。
最初ははいはいと受けていたが、あまりのAndroid携帯のわからなさに
父に対してではなく、Android携帯に対してグチグチ文句をいった。
「なんだよこれ!」「だからAndroidは嫌いなんだ」「意味わからん」等。

父はそんな私の様子を見て「ちょっと自分で見てみるわ」と持って帰っていった。
結局、思い直してもう一度見せてもらおうと父のもとに向かうと解決していたらしい。
今日は父にとってスマホデビューの日だった。
なのにそれに文句をいう。それも人にじゃなくて物に文句を言う。

そして、ようやっと家族全員でLINEが出来るようになり
(それまで父の携帯が対応してないためできなかった)
妹2人がLINEで家族のグループを作り、そこで会話を始めた。
上記のイライラの上に、妹の会話で毎回通知が鳴り正直イライラ。
それに対しても母に、LINEを消すことも検討するとか、会話はいいけど通知がうっとおしいだの
文句を言った。
人ではなく物に。

私はなんて余裕のない小さな人間なのだろうか。

LINEが嫌いでAndroidが嫌い。
これは私がもともと持っている正直な感想である。
だからどうした。
そんなことで、スマホデビューの人間に、やっとLINEで家族で話せるという時に
自分の都合で、ぐちぐち文句をいっていいものか?
しかも人ではなく物にだ。

"世界にとってあなたは一人の人に過ぎないかもしれないが、
一人の人にとってあなたは世界になりうる"

それを私はこう言い換えて自身を戒めたい。

"あなたにとっては今日はただの一日かもしれないが、
彼にとっては今日は大切な一日になりうる。"

反省せよ。
自分の小ささを恥じよ。

情けない。

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