君は楽しんでいるか。
何を?
今この時を、
君の目の前にある状況を、
君に加わる外的刺激を、
君の行うことを。
楽しんでいないとすれば、それは君が生きていないということではないか。
周りに流されているだけということだ。
なぜ周りから影響を受けるのだ?
なぜ周りの一挙手一投足に反応するのだ?
一日の終わりに
今日は楽しかったと言えぬ今日に何の意味がある?
明日は嫌だなと思う明日に何の意味がある?
君は苦しむことが好きなのか?
苦しめば苦しむほど、先に安らぎがあるのか?
違う。そんなものはどこにもない。
手探りで歩いてたどり着ける光は運だ、奇跡だ。
そうではない。
ここが暗闇だと思うから暗いのだ。
手を伸ばしてみよ。
そこに松明があるかもしれない。灯りのスイッチがあるかもしれない。
いや、そもそも、そこは本当に暗いのか?
君が目をつぶっているだけではないのか?
昨夜読んだ言葉を君にもう一度教えよう。
”魂は、自分自身の晴れやかさと安らかさを守り、それを悪いことと考えないでいることが出来る。
なぜならば、もろもろの判断と衝動と欲望と嫌悪とは我々の内心の事情であって、
何物もそこまで上がり込むものはないからである。(自省録)”
嫉妬も同じだ。
面倒くさいという気持ちも同じだ。
外的事情は、ただ、そこにある"だけ"だ。
それに対して君が不必要な反応をするから楽しくないのだ。
ふりでもいい。
楽しくて仕方ないふりをやれ。
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