時折とかではなく、常にかもしれない。
起こるか起こらないかわからないことに対して、「念のため」「大事をとって」と。
可能性を閉ざしたのではないか?
正解はないのだ。
Ifの分岐点の結果をもう片方から見ることが出来ない限り。
あそこに私はいるはずだった。
体調が万全であれば、明日が仕事でなければ、飛行機に乗る予定がなければ…。
考えても無駄か。
神ではないこの身はいかに望んでも
もう片方の選択の結果を見ることなんて出来ない。
ならばせめて。
自分の目と他者の目を持つことにしよう。
二つの視点から考えよう。
いや、相手の目と、神の目を。
多数決なら間違う可能性も少ないだろう。
そして、決められたことには従う。
そうしよう。
それを熟慮するということだと思おう。
今日のこの虚しさを忘れるな。
君はこの出来事から学ぶのだ。
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