2014年3月5日水曜日

文句

人の仕事に文句を言うなら
まず自分が出来ているかを考えよ。
出来ていると言えるならば
私ならばこうするのだが、と
伝えてやるといい。
指示したことの結果が不満ならば
意図を説明し、自身はこうした方が
良いと思うが君はどう思うだろうかと
意見を聞いてみるといい。
より良い意見が生まれるかもしれない。

何故彼らはこんなに使えぬのかと
怒り心頭に達するならば
年下ならば、自身は彼らよりも何年多く生きているのかを考えてみるといい。
年上ならば、彼らは彼らなりの考えがあるのだから自分はこうした方が良いと思うがどう思うかを伺ってみるといい。
どちらの場合でも、私は彼らに出来ぬことが出来、知らぬことを知っていたかもしれないがその逆もまた然りであることを当然のように思い出してみるといい。

そもそも君は完全かを考えてみよ。
全く当てはまらない。
この世で最も遠いかも知れぬ。
ならば君にできることは何か。
文句を言う前に彼らの話を聞いて
彼らの良いところを探して学ぶことだ。
話すよりも、文句を言うよりも
学ぶことだ。

誰よりも自身を高めようと思う者は、
人に対して文句を言う暇などないはずだ。

2014年3月4日火曜日

遠慮

何を遠慮する?
誰に遠慮する?

愚痴るな
終わったことを悔やむな
よく思われようとするな

自由で

自由でありたいと思うなら
自由でいればいい

2014年3月3日月曜日

人間の

何%がやりたいこと、好きなことを望んだように出来るだろうか。
99.9%もいないかもしれない。
歴史を見ても、勝者は時代がそれを認めたから勝者なのだと感じた。
勝者にも敗者にも理由なら後からいくらでもつけられる。
負けるはずのないものが負け、勝つはずのなかったものが勝つ。
ひとえに時代がそれを認めたからだと思った。
それが残りの0.1%だ。
ならば99.9%として生きるか?
否。
例え結果的に99.9%であったとしても
0.1%の可能性を捨てるつもりはない。
捨てたらそこで人生は終わるから。
そのために準備をする。
爪を研ぎ、牙を磨き、繰り返す。
いついかなる時も闘えるように。
逃さぬように手ぐすねひいて待つ。
引き寄せる。
そう、引き寄せる。
こないならこっちから出向く。

19時からの勉強会へ

敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し。

よい。集中している。

人に願うこと

ユリウス・カエサルのような人物が何故出ないのかと嘆くならば、なぜ自身がそうなろうとしないのか。
私も同意見だからこそ、自身がそうなりたいと願う。

とはいえ、人に言えるのは自分は間違いなくあてはまっていないことだけだ。
自分が出来てないことを人に言うのはナンセンスだろう。
説得力もない。
だからこそ人に思うことは、まず自分から直そう。

更新が滞っていた(3/1の内容)

思い返しをしていないわけではない。
いや、していないか…
コミュニケーションやマネジメントの練習を兼ねたネットゲームでのチーム運営に注力しているうちに日が経ってしまった。

得るものは色々あれど
記載が出来ていないことは反省すべきこと。
投稿日は3月3日だが、3月1日として記載する。

3月1日で本ブログを再開して
4ヶ月が経過した。
最近は少々滞り気味になっている。
恥ずべきことだ。
そして、同様に覚書や反省を書いている手帳。
これも記載を始めて3ヶ月になった。

最近、どちらも滞り、後から思い返しての記載が多くなり気付いたことだが、一日というものは記載しなければ忘れてしまうということに気づく。

何を今更そんなことをと思われるだろうがそんなことも意識できていないのが小生である。

自身の手帳の最初に記載した言葉に以下の言葉がある。

一日を顧みて、どこか面白かった、楽しかった、本当に満足だったという所がなければ、その一日は無駄に過ごしたことになる。
私にとって、それは神に背くことであり、邪な事なのだ。
ドワイト・アイゼンハウアー

この格言は私からしてみれば、何も記録しなかった日と思えてならない。
3,4ヶ月の間に漫然と過ごした日もある。ゲームしかしなかった、ずっと寝ていたという日もある。
だが、そんな日でも頭は自由である。
全く頭が動かなかった日などなかろう。例え外界から刺激を受けなくてもそんな自分を顧みれば、それは無駄な日ではないのかもしれない。
しかし、考えたこと、起こったことを書かなかった日は数日後にはその内容を忘れてしまう。紙面の上では何もなかった日となってしまう。

それはまさに神に背くことなのだと思う。
私は無宗教とはいえ、それは自身のためにもならぬし時間の浪費であるから絶対に行ってはならぬことなのだと感じだと。